ゴールデンボンバー、V系の“様式美”詰め込んだ「暴れ曲」が示すもの シーンの動向から考察
さて、“様式美”といえば聞こえがいいが、“暴れ曲”というフォーマットはパロディの対象になるほどに“あるある”化しているともいえる。上記のバンドらは、いうまでもなく“激しい”、“暴れられる”だけのバンドではないが、彼らのエピゴーネンがシーンに跋扈(ばっこ)しており、それがある種の形骸化を招いている事実は否定できない。
ここで、DEZERTのボーカル・千秋が本サイトでの新作リリースインタビューで、このような発言をしていたことを紹介したい。
(DEZERT 千秋 リアルサウンドインタビュー引用)
「ライブをやってみてみんなが俺の歌を、何を歌っているのかをちゃんと聴こうとしてくれてる感じがあって。(中略)ヘッドバンギングが全員揃ってるとか、暴れっぷりがすごいとか、そういう物差しでしか見れないヤツとは話をしたくないんですよ」
彼らは、2010年代の(本人たちがどう思っているかはさておき)“暴れる”ヴィジュアル系バンドの代表格といえる存在だ。たしかに最新アルバム『TODAY』のサウンドは、言ってしまえば、筆者も含み周囲がこれまでの彼らの武器と考えていた、ヴィジュアル系的な“暴れ”要素を潔く取っ払った仕上がりになっている。まるで「スポーツ化」を拒むかのように。勿論DEZERTがシーンの動向をどうこう(あっ!)するタイプのバンドではないのは承知の上だが(ただ、無軌道で何も考えていない素振りをしておいて聡明なバンドであることは間違いない)、稀代の“暴れ”バンドが、完全なるパロディである「暴れ曲」とほぼ同時期に、このような方向に進んだのは、興味深いと考える。
気がつけば2010年代も残り1年あまり。いつかこの時代を振り返った時に、今述べたような事象がシーンにとって何かのターニングポイントと呼べるものになるような予感がするのだ。
■藤谷千明
ライター。ブロガーあがりのバンギャル崩れ。8月6日に市川哲史氏との共著「すべての道はV系へ通ず。」(シンコーミュージック)を上梓。Twitter