細野晴臣の音楽は時代や国境を越えてきた 『細野晴臣 daisy holiday!』からイギリス公演振り返る

 細野晴臣がMCを務めるラジオプログラム『細野晴臣 daisy holiday!』(InterFM)。7月29日、8月5日のオンエアでは、バンドメンバーの高田漣、伊賀航、伊藤大地、野村卓司をゲストに迎え、6月23日にロンドン、25日にブライトンで行われた細野のイギリス公演を振り返った。

 帰国後、長期間にわたって時差ボケに悩まされているという細野が、メンバーの時差ボケの具合をひとしきり確認してから、まずロンドン公演の話に。高田が「思った以上にお客さんの反応がよくて、海外での公演という感じがあまりしなかったですね」と切り出すと、細野も「しなかったね。みんなもそう思ったでしょう?」と応じ、ロンドン・バービカンホールを埋めたオーディエンスの反応について思い起こした。

 ロンドンでの公演は、シアトルを拠点に多くのリイシューを行う<Light In The Attic Records>の設立16周年記念、そして坂本龍一がキュレーションを行う企画『Thirty Three Thirty Three’s summer series of arts and music,MODE』を兼ねたイベントで、大半は海外の観客。にもかかわらず、ノリや盛り上がりは日本の観客のものとほとんど変わらなかった、とメンバー一同も同調する。

「20年前くらいはそうでもなかった。何か変わったんだね、この数年で。何だろう?」。細野はそう言って、ふと思い出したように、今年1月に行った台湾・香港初公演の時の心境を打ち明けた。「初めてだったから、やる前にすごく緊張するじゃない? まったく受けなかったら落ち込むからね。よく夢に見るんだ。蓋を開けてみたら、お客さんがひとりもいなかったりって。そういう夢、見ない?」。同意を求める細野に、高田らが笑ってうなずくと、細野は「そんな感覚に近いよね、初めてやるところって」と、公演前に感じていた不安のほどを説明した。

 ところがそれは杞憂にすぎなかった、と細野は言う。台湾・香港公演は成功のうちに終わり、観客のリアクションは、驚いたことに日本とほとんど変わらなかった。そしてロンドンで感じた手応え。「細野さん、ロンドンのライブが終わった後、もうどこでやっても大丈夫そうだって言ってましたね」とうながす高田に、細野は「次はアメリカに行っても同じようにできるかもしれないって思い始めた」と応え、今後の海外公演に向けて意欲を示した。

 続いて、ブライトン公演の話題に移ると、野村が「細野さんのインスタに上がってたスケボーの人たち、誰なんですか?」と質問。細野は、会場となったオールドマーケットの外で、公演後に声を掛けてきたスケボー青年たちの話を披露した。「終わった後、楽屋口から外に出ていったら、彼らが呼ぶわけ。『ハルオミ!』って。下の名前で呼ばれたの、お母さん以外で初めて(笑)。親しみを感じたけどね」。後でわかったのは、彼らが自身のインスタにスケボーのムービーを上げ、BGMに細野の楽曲『スポーツマン』(アルバム『フィルハーモニー』収録のバージョン)を使用していたということだ。

 ブライトン公演には、イギリス在住の日本人観客も大勢やって来ていたが、会場で目に付いたのはスケボー青年たちのように比較的若い、海外のオーディエンスたちの姿だ。おそらく彼らは、ときにSpotifyやiTunesを通じて、ときにCDやレコードを通じて、新旧も国籍も問わず、今の自分たちにフィットする音楽を、ただその観点からのみ掘り出して聴いている、そんなリスナーたちだろう。実は彼らのように、新旧も国籍も問わず、その時々の自分に最もフィットする音楽を、ただその観点からのみ掘り出して聴いてきた先駆けが、他でもない細野晴臣だ。

 ソロに転じた1970年代半ば、彼はニューオリンズから中国、中南米、ハワイ、沖縄に至るまで、さまざまな土地、さまざまな時代の音楽を狩猟してまわり、そこから得たインスピレーションを自らの作品“トロピカル三部作”に反映させた。ところが当時の日本に、「チャンキー・ミュージック」と称する彼のごった煮サウンドを受け入れるような土壌は、まだ育まれていなかった。一方で世界に目を移せば、そこには同様の音楽的嗜好を持つ、同好の士と呼べる存在がいなかったわけではない。例えばヴァン・ダイク・パークスやマーティン・デニーのような。1978年にYMOを結成した時、彼が当初から世界戦略を打ち出していたのは、仮にそれが日本では行き場のない音楽だったとしても、世界には必ず同じ感覚で音楽を聴き、それを楽しんでくれる人たちが存在するはずだという、祈りにも似た思いがあったからだ。

 それから40年を経て、ロンドンやブライトンで目の当たりにした観客たちの反応は、彼がYMOで実証したことをあらためて、さらに明白に裏付けるものだったのかもしれない。二夜にわたった番組の冒頭では、マック・デマルコが水原希子・佑果姉妹とともに突然スタジオを訪れ、憧れの存在である細野と念願の初対面を果たすという一幕もあった。デマルコはつい先日、細野の「Honey Moon」(1975年のアルバム『トロピカル・ダンディー』に収録)を日本語によるカバーでリリースし、「僕が19歳の頃から音楽を続けているのは、ほとんど細野さんのおかげなんだ」と細野への思いを告白している(※参照)。これもまた細野の音楽が時代や国境を越えてきたことの証だろう。

 ともあれ、イギリス公演に気をよくした細野は、番組の終盤で未来のアメリカ公演に思いを馳せ、「例えばアトランタとかメンフィスとか、アメリカの田舎のほうでブギをやったらどうなるんだろう?」と空想。1986年、Friends of Earthとしてオープニングアクトに立ったジェームス・ブラウンの日本公演を思い出し、「あの時、JBのファンから『出てけ!』みたいな罵声が飛んできたことがある。それがトラウマになってるからね」と続け、「アメリカでブギをやったら、受けるか、罵声か、どっちかだね(笑)」と、楽しげに話した。ちなみに2度目となる台湾公演は2019年2月に予定されている。

(文=門間雄介)

■スペシャルムービー企画「昨日の1曲」番外編
「ブライトンの1曲」 
「ロンドンの1曲」

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