野宮真貴×小西康陽「東京は夜の七時」が色褪せない理由 25年歌い継がれる様々なバージョンを解説
10月31日発売の野宮真貴のニューアルバム『野宮真貴 渋谷系ソングブック』にて、「東京は夜の七時」が小西康陽プロデュースによって新たにカバーされる。
野宮は2013年から「野宮真貴、渋谷系を歌う。」というプロジェクトで渋谷系楽曲を歌い継ぐ活動を続けている。過去5作のアルバムから選曲されたベスト盤が『野宮真貴 渋谷系ソングブック』である。そして数ある渋谷系楽曲の中でも抜群の知名度を誇り、代表曲ともいわれるピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」のオリジナルリリースは1993年なので、今年で25周年。このタイミングで、ピチカート解散後初となる小西康陽編曲およびプロデュース、野宮真貴が歌唱という「ピチカート・ファイヴ(実質)再結成(?)」という顔合わせが実現した。
本曲カバーのアーティスト名義は「野宮真貴と少林兄弟」で、これは小西が21世紀に入って最初に好きになったというロックバンド・少林兄弟とのコラボレーションになる。本曲は11月3日に7インチアナログ盤『東京は夜の七時 c/w ハッピー・サッド』としてもリリースされる。
そして本日9月17日12時から21時48分にテレビ朝日系で放送の『ミュージックステーション ウルトラFES 2018』に野宮真貴が出演し、「東京は夜の七時」の“25周年特別バージョン”をテレビ初披露するとのこと。
渋谷系ムーブメントの代名詞とも称されている「東京は夜の七時」(作詞・作曲:小西康陽 編曲:福富幸宏)は、これまで多数のアーティストによりカバーされてきた。2016年にはリオデジャネイロパラリンピック閉会式のセレモニーBGMとしてもカバーされ、あらためて注目された。本稿では、そういったカバーバージョンを一挙紹介していくことで、この楽曲の魅力について考えてみたいと思う。