『Yours Tour 2018』
PAELLASが初のワンマンライブで表現した、楽曲への圧倒的な自信とカタルシス
ニューEP『Yours』で長足の進化を見せた楽曲への評価は、そのまま初のワンマンライブである、この日のWWW Xがソールドアウトするという結果に結びついた。もちろん従来より手厚いプロモーションによってCSやラジオ、サブスクリプションサービスでレコメンドされるという現実も後押ししたに違いないが、明らかに楽曲評価と、PAELLASというバンドの魅力に気づいたオーディエンスがこれまでとは比べ物にならない高い熱量を持っていたことは間違いない。
実際、終演してから数時間、静かな感銘に満たされた。それはエネルギッシュに明日からも頑張れるとか、先鋭的な表現に撃ち抜かれたとかいう、熱い実感ではない。しかし、それは彼らならではの熱量であり、熱量の正体はどこまでも完成させた楽曲=メロディ、リズム、アンサンブル、アレンジに対する圧倒的な自信と、それを再現ではないマインドセットで実現する細心の手さばきともいうべきものだった。エレガンスや洗練というものを実現するための熱量や意志の力に圧倒され、同時に心から尊敬の念を抱いた。
話は逸れるが、数年前から国内各地で勃興したインディシーンやシティポップと称されたバンド/アーティストの中でオリジナリティを発揮し、狭義のバンドシーンを超えて支持を得る存在——Suchmos、Nulbarichらはすでにアリーナクラスにリーチしているし、D.A.N.はバンドであると同時に独自の審美眼を持った演奏するプロデュースチームの趣きもある。またnever young beachはデヴェンドラ・バンハートや細野晴臣と音楽について語り合い(http://realsound.jp/2016/12/post-10594.html / https://natalie.mu/music/pp/hosonoharuomi02/page/2)10〜20代のリスナーに、その良さを伝えるハブになりえたし、そうしたルーツをどんな精神性と音楽的な理由を持って受け継ぐかに自覚的だ。この日のPAELLASのライブを見て、今、日本のバンドは各々が独立した立場で衛星のように私たちの日常を豊かに照らしてくれている、それぐらい一つ一つのバンドの存在意義が大きくなっていることに改めて気づいたのだ。規模感やセールスで言えば日本はガラパゴスかもしれない。しかし、音楽的にはそうした形容を付された時期をとっくに通過したのではないか。改めてこれからが面白いのだ、そう思わせるライブをPAELLASが実現したから、連鎖的に思い浮かんだことである。
メンバーが登場し、生音で最初に鳴らされたのはRyosuke Takahashi(Dr)のキック。その瞬間に演奏される曲が「Echo」であることに観客が反応し、声が上がる。メンバーが4人体制となってからは、Ryosukeが同期も操作していることを今回知った。これはPAのバランスが優れているせいでもあるけれど、同期にとってつけた感がない。そして3リズムもボーカルの分離も素晴らしい。続けてEPの曲順通り、「Miami Vice」が演奏され、これまたSatoshi Anan(Gt)の、吟味されたフレージングに70、80年代の山下達郎、寺尾聰バンドにおける今剛ら、日本人の辣腕ギタリストを思い出す。さらに「何を弾いて、何を弾かないか」、つまり上物として厳選しきった音は、ジャパニーズAORだけでなく、彼がハウスやR&Bを通過してきたことの両方を実感させた上で新しい表現だ。MATTON(Vo)の抑制的でセンシュアルなボーカルも、ライブだからといって張ることもなく、音源のニュアンスのまま届くことでPAELLASの世界観をシズル感溢れる表現で受け取ることができる。簡単そうでいて彼らのサウンドは楽器隊がこれまで培ってきたアンサンブルのバランスの上で成り立っているのだ。どの楽器も鳴らし過ぎない。
照度が落とされ、通り過ぎるライトにメンバーが時折ハイライトで照らされるのに比べ、開演前からひときわ目を引いた天井から吊り下げられた花のオブジェは、時に真っ赤に、時に人工的にカラフルな色合いを見せるなど、曲が作り出すイメージに応じて変化する。花のオブジェが心のようなものだとすれば、メンバーは夜の街ですれ違う見知らぬ他人のように、遠目には映る。演出にどんな意図があったかは計り知れないが、少なくとも筆者にはPAELLASの作品性に通じる演出に映った。
中盤に配置したハウシーな「MOTN」では、意識が遠のくようなシンセのレイヤーから、音源にはない錯綜するアンサンブルに突入し、インタールードを挟んで、ギターのディレイが夜のしじまのような「Lying」へ。ムーディで不穏なギターとボーカルのみで深く深く、オーディエンスの中に入り込んでくる「Take Baby Steps」の表現も研ぎ澄まされている。ここでは誰もが個でいられるし、個のままで内側にカタルシスを感じることができる。その個のカタルシスの集積として、演奏がフィニッシュするたびに大きな拍手と歓声が起こったり、曲間にMATTONが感謝を述べたり、手をあげるだけで歓声が起こる。弛緩する場面はないライブなのだが、音に全身を研ぎ澄ませて対峙することが愉悦ですらあるせいか、オーディエンスの反応がナチュラルだ。
洗練の極みの演奏の合間に挟まれるMATTONの飾らないMCも、肩の力を抜いてくれる効果があったのかもしれない。不安定な天気が続く中、晴れたこの日を「実は雨を狙ってた」「花粉のシーズンのツアーは二度とやりたくない」と正直なところを話して笑わせたり、本編ラスト2曲前に「あと2曲」と短く言ったところ、フロアは想像以上に不満を露わにし、「楽しい時間はあっという間とかいう前に、もっと長くできるように曲作れって話やな」と、また笑いに昇華していく。そこには一切の煽りはなく、ただ今のPAELLASを楽しんでほしいという気持ちが素直に投影されていた。
EP『Yours』で日本語詞が書かれ、アレンジも変更された「Darling Song」はシュアなRyosukeのキックとスネア、bisshi(Ba)のベースもパーカッシブで、メラコリックな上物との対照が明確に。メジャーキーの「Together」への流れもスムーズで、サビでのMATTONのファルセットも安定していた。ライブも終盤だが、より祈りに近いムードが「Pray For Nothing」で深まっていく。神聖さと都会的な洒脱が同居しているからか、特定のジャンル感に焦点を結べないところが、ここで鳴らされている演奏に集中させてくれる。
個人的な白眉は、超スローで歌とギターのみのミニマルな駆け引きが魅力の「Body」が、徐々にビートを加えてライブならではの厚みを増し、MATTONのボーカルも地声の力強さを表したことだった。静かに個々の内側に溜め込んだカタルシスが目には見えないが、放出された瞬間。音源ではあくまでも一人の夜に呟かれる独り言のように響いたこの曲が、ライブで意外なベクトルで演奏されたことに驚いた。一昨年リリースのアルバム『Pressure』収録曲だが、この間にEP2作を挟んで成長、変化したバンドが、ワンマンライブでどんなストーリーを描くのか? に注力した結果なのではないだろうか。
この日一番の熱量を放った「Body」の余韻を楽しみつつ、本編ラストはまるでクラブのアフターアワーズのように聴こえた「Over The Night」(タイトルは今まさに夜を越えようとしているだけれど)。PAELLASの音楽は一体感より、一人の時間の自分にとってしっくりくるものであったり、あえて群れから離れて自分に戻れる感覚がある。だからこそ「Over The Night」で歌われる〈we got the same phrase〉というフレーズをライブという、自分以外の人との時間の中で聴くかけがえのなさが際立った。MATTONが丁寧に〈phrase〉と発語して歌い終えた時、今回の「Yours」ツアーの軸を見た。
再三になるが、個の中で高められたカタルシスが、一同に介して解放されていく、そんなライブは珍しいと思う。PAELLASの音楽がスタイリッシュで完成度が高いという外観の他に認知を急速に早めている理由は、そうした稀な体験が希求されているからではないか。その一端が証明されたツアーファイナルだった。
(写真=Kodai Kobayashi)
■石角友香
フリーの音楽ライター、編集者。ぴあ関西版・音楽担当を経てフリーに。現在は「Qetic」「SPiCE」「Skream!」「PMC」などで執筆。音楽以外にカルチャー系やライフスタイル系の取材・執筆も行う。