アルバム『RISE』インタビュー

宮田悟志が語る、ソロデビューにかける思い「原点に立ち返って歌をシンプルに届けていく」

 LDH所属のシンガー・宮田悟志が、1stアルバム『RISE』を1月10日にリリースする。BREATHEとしての活動を終えた後、ソロライブや舞台・映画への出演、ナレーションの仕事などを通して自らの“表現”を磨いてきた宮田の2年間の活動が凝縮されたような作品が完成した。同作には、EXILE MATSU演出舞台『かげろう』の主題歌「かげろう」や『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)のエンディングテーマ曲「サンサーラ」、ソロ活動スタート時から親しまれている「STORY」「僕はコウモリ」に加え、BREATHEのストリートライブ時代から歌い続けている「待ってて」などを含む全11曲を収録する。

 今回リアルサウンドではソロデビューを迎えた宮田悟志にインタビューを行い、改めて歌手を志したきっかけや現在の心境、作品にこめた思いなどについて話を聞いた。(編集部)

歌手をめざしたきっかけは、広瀬香美さんの一言

宮田悟志

――BREATHEとして最後のライブからちょうど2年が経ち、遂にソロとしてデビューすることになりました。まずは、この2年の心境について、聞かせていただけますか?

宮田悟志(以下、宮田):グループとしての活動が終了してから、すぐにソロでライブを始めたんですけど、その初めてのソロライブで、ソロで歌っていくことの大変さみたいなものを、すごく感じたんですよね。そのときは、BREATHEの曲とかも歌ったんですけど、2人で歌っていたものを、ひとりで歌う大変さも痛感して。で、「ここから自分は、どういう歌で、何を表現していけばいいんだろう?」……そういうことを考え始めていたときに、たまたま舞台のお話をいただいたんです。

――EXILE MATSUさん演出の舞台『かげろう』ですね。

宮田:そうです。その舞台のなかで、歌うシーンがあったんですけど、これがまたライブで歌うのとは、まったく違う感覚のものだったんですよね。演技をしながら、その流れで歌うっていう。そこで、自分のなかでも新しい感覚があったというか、表現の幅が広がっていったところがあって。その他にも、そのタイミングでナレーションのお仕事が入ってきたり、朗読のお仕事があったり、それこそ短編映画を撮ったりとか、うれしいことに、いろいろなお仕事をいただいて。そうやって、いろいろやっていくことで、自分が今まで経験していなかった表現の仕方を学んで、それがすごい自分の歌に反映されてきている感じが、自分の実感としてはすごくあったんです。

――歌に対するモチベーションも、さらに高まっていったんじゃないですか?

宮田:そうですね。いろんなお仕事をやるなかで、自分の歌の表現の幅が広がっているなっていうのは、自分でも実感していたので。で、一昨年の冬に、舞台が2本終わってから、アコースティックツアーをソロでやらせてもらったんですけど、そのときには楽曲も結構そろってきていたんですよね。それなら、そろそろアルバムを作りたいよねっていう、その構想みたいなものは、そのあたりから練り始めていて。最初はミニアルバムぐらいのものを考えていたんですけど、どんどん曲が集まってきて、結果的にフルアルバムになったという。それで今に至る感じです。

ーー宮田さんは、2010年に行われた、三代目 J Soul Brothersのボーカルを決める『EXILE Presents Vocal Battle Audition2~夢を持った若者たちへ~』で、その歌唱力が認められて、2011年にボーカルデュオBREATHEの一員としてデビューしたわけですが、そもそもは、どんなボーカリストになりたいと思っていたのですか?

宮田:オーディションを受けたのは、僕が25歳のときで……その頃は、どんな形であろうと歌手になりたいというか、年齢的にも最後のチャンスだなって思っていたんです。なので、どんな歌手になりたいというよりも、プロの歌手になるという夢を叶えたいってことしか考えてなくて、正直具体的なビジョンみたいなものはなかったんですけど……僕はもともと、鈴木雅之さん、久保田利伸さん、平井堅さんとか、男性の「歌もの」シンガーみたいな方々に憧れていたところがあって。もう本当に「ボーカリスト」っていう感じの人たちに。なので、ああいう音楽を、自分も歌っていきたいなっていうのは、漠然と思っていたかもしれません。

――ちょっと意外なアーティストの方々の名前が、たくさん出てきましたけど。

宮田:そうですね(笑)。洋楽とかも聴いたりするんですけど、やっぱり日本の「歌もの」というか、ちょっとソウルっぽい感じの歌が、自分は昔から好きなんです。

――そもそもの原体験というか、歌手になりたいと思ったきっかけの曲とかってあるんですか?

宮田:僕は、もともと広瀬香美さんがやっているボイストレーニングの学校に通っていて。大学までは、ずっと野球一筋でやってきて、卒業後はアパレルの会社に就職したんですけど、またちょっと趣味じゃないですけど、野球みたいに何か打ち込めるものが欲しいなって思っていて。で、音楽が好きだったし、歌うことも好きだったら、ちょっとボイストレーニングに通ってみようかなって思ったんです。

――そこで広瀬香美さんの名前が出てくるのも、またちょっと意外ですね。

宮田:そうですよね(笑)。いくつか体験入学をしてみたなかで、「あ、広瀬香美さんがやっている学校があるんだ」みたいな感じで行ってみたんですけど、僕のなかでは、そこがいちばん楽しくて。そのときは、広瀬香美さんが教えてくれたわけじゃなかったんですけど、先生とのフィーリングが合ったというか、すごい面白い人で、「人間の身体の仕組みっていうのは、こうなっていて」みたいなところから教えてもらって、「あ、ちょっと面白いな」と思って通い始めたんですよね。だから、そのときは、別にプロを目指していたわけでもなく……野球をやっていたときのような、何か刺激的なものというか、もう一回自分を鍛え直すみたいなことを、何か探していたのかもしれないですね。

ーーなるほど。野球はかなり本格的にやっていたようですし、普段から練習とかが苦にならないタイプというか、アスリート的な観点から、ボイストレーニングをしているような?

宮田:ああ、そうかもしれないですね。野球をやっている頃は、毎日練習で声を出していたし、最初の授業で「結構声が出るね」みたいなことを言われたのが、ちょっとうれしかったっていうのもあって。だから、入った当初は、結構いい感じだったんですよね。で、あるとき広瀬香美さんのレッスンを受けられる日があって、それに出てみたんですけど……そこで、何でもいいから得意な曲を一曲歌ってくださいって言われて、歌ってみたら、わりとストレートに「あなたは、何を表現したいの?」みたいなことを、香美さんに言われてしまい。

――ああ……。

宮田:「あなたの歌は、あんまり面白くない」みたいな感じで結構ストレートに言われてしまって、それがすごい悔しかったんです。で、クラスの全員が歌ったあと、香美さんが、「私の歌をちょっと聴いてみて」って、自分の曲を弾き語りで歌ってくれたんです。そしたら、その歌が本当にものすごかったというか、「これがプロなんだ」って圧倒されてしまって。そこから何かスイッチが入った感じです。自分もいつかプロになって、こんなふうに歌いたいって。

――で、その後、見事オーディションに通って。そのときは、やっぱりうれしかったですか?

宮田:そのときはもう、めっちゃうれしくて(笑)。年齢的にもギリギリというか、これでダメだったら、もう無理みたいな感じの意気込みでオーディションを受けていたので。だから、まわりの10代の子たちとは、ちょっと熱量が違ったと思います。で、そのオーディションが、かなり大きいスケールのもので、最終選考はお客さんの前で歌ったんですけど、本当にものすごい数の人々が見に来てくれて。今も、その頃から見ていてくださる方々も多いんですけど。

――それは励みになりますね。

宮田:そうですね。もう大人だったから、そこで舞い上がらず、割と冷静に見ていたところはあるんですけど、その後ストリートライブをやったりしても、当時のファンの方々が見に来てくれたりするので。それはやっぱり、すごくうれしいことだし、励みになりますよね。

――ただ、そういうなか、相方の都合によって、BREATHEが解散することになって……そのときは、やはりショックだったんじゃないですか?

宮田:BREATHEを解散するってなったときは、結構清々しかったというか、お互い話し合った上での決断だったんですけど、そこから先に対する不安は、やっぱり大きかったです。多少強がりもあったというか、忘れられちゃうんじゃないかっていう恐怖もあって、その後早々とソロ活動をスタートさせたんですけど、やっぱり不安は拭い去れなかったというか。そこで最初の話に戻るんですけど、「どうしよう」って思っていたときに、舞台だったり朗読だったり、いろいろな経験をさせてもらって。それによって、いつのまにか不安が拭い去れたところも、やっぱり大きいと思います。

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