荏開津広『東京/ブロンクス/HIPHOP』第9回:ラップ以前にあったポエトリーリーディングの歴史

 それでは、今日のヒップホップ/ラップのもとのひとつにもなった、ラディカリズムとアートの暮らしのなかの結びつきの帰結としての、The Last Poetsやギル・スコット・ヘロンなどの芸術表現の行為、いわゆる“ジャズ・ポエトリー”は日本語ラップ以前にあったのか。

 詩人の白石かずこは、吉増剛造や諏訪優ら詩人たちと、沖至やナウ・ミュージック・アンサンブルなどフリージャズミュージシャンとのセッションを重ね、のちにサム・リヴァース、バスター・ウィリアムスたちとジャズ・ポエトリーのアルバム『Dedicated To The Late John Coltrane And Other Jazz Poems』(1977年)をリリースしたが、1960年代終わりから70年代はじめの日本でのジャズ・ポエトリーの不遇について、彼女の詩的回想記『黒い羊の物語―Personal poetry history』にこう書いている。「“この頃はジャズ喫茶時代ともいえる。(中略)だが、詩の朗読はというと、NHKのラジオの朗読の時間がお手本とされていて、人々はそれが朗読と思っていたから、ジャズの即興演奏と詩の朗読など全く無謀だと思って、それを聴きもしないで否定していた時代だった/それにエンターテイメントとしてのジャズとは全くちがうニュージャズ、クリエイティヴな実験に実験を重ねてできた前衛ジャズ、フリージャズなどは騒音として耳をかたむけなかった」

 『Dedicated To The Late John Coltrane And Other Jazz Poems』は、この連載にもたびたび登場してきた坂本龍一と、白石とも交流のあった詩人、富岡多恵子の傑作ーー初期のオノ・ヨーコの幾つかのアルバム、もしくはのちのローリー・アンダーソンの『Big Science』を思い起こさせるーー『物語のようにふるさとは遠い』(1977年)と共に記憶されるべきポエトリーのアルバムだ。ポップ/ロックの領域からのポエトリーの試みも、その8年後の佐野元春のマルチメディア作品としてデザインされた『Electric Garden』を待たなければならない。

 21世紀のはじめからみると、東京の都市空間のなかに存在していた、その当初ラディカリズムに刃を迎えて解こうとしたジャズやフォークと詩の場ーー例えば、ロックアウトされた早大のバリケード空間の中での山下洋輔トリオによる演奏/パフォーマンス、もしくは西口フォークゲリラーーは、はっぴいえんどやキャロルとフェスティバルという“幻覚の共和国”空間を通して、初期のいわゆるシティ・ポップやよりヘヴィなロック/ソウル/ファンクとクラブ(ディスコ)などへ瓦解していったようだ。

 これはもちろんジャズが重要でなくなったというのではないし、またジャズからロック/ダンスへという文脈を意識したアーティストがいなかったというのでもない。そのことは日本に映画『ワイルド・スタイル』のキャストとクルーがやって来る少し前、東京は吉祥寺のライブ喫茶「マイナー」という空間と、そこで活動していたA-Musik、ガセネタ/TACO、工藤冬里、白石民夫、灰野敬二といったミュージシャンたちが日本においてのポストモダンな文化の趨勢、ポストコロニアルな状況をはっきりと見据えながら確固たる音を出すことを始めていたこと(そして、その状況を背後に出てきたECDというラッパーの存在)、もしくは近藤等則という希有なアーティストの足跡を思い起こすことで十分だと思われる。

■荏開津広
執筆/DJ/京都精華大学、立教大学非常勤講師。ポンピドゥー・センター発の映像祭オールピスト京都プログラム・ディレクター。90年代初頭より東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、ZOO、MIX、YELLOW、INKSTICKなどでレジデントDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域において国内外で活動。共訳書に『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)。

『東京/ブロンクス/HIPHOP』連載

第1回:ロックの終わりとラップの始まり
第2回:Bボーイとポスト・パンクの接点
第3回:YMOとアフリカ・バンバータの共振
第4回:NYと東京、ストリートカルチャーの共通点
第5回:“踊り場”がダンス・ミュージックに与えた影響
第6回:はっぴいえんど、闘争から辿るヒップホップ史
第7回:M・マクラーレンを魅了した、“スペクタクル社会”という概念
第8回:カルチャーの“空間”からヒップホップの”現場”へ

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