嵐はいかにして“国民的アイドルのスケール”と向き合ったか? 矢野利裕の『「untitled」』評

 最後に少しだけ。「ありのまま」の最初のハンドクラップを聴きながら、ゴスペルっぽさを感じた。曲自体は808のカウベルも薄く鳴っていたりするなど変わったアレンジで、ジャンルとしてひと括りにはできないのだが、ハンドクラップとピアノが印象的な「ありのまま」は、ゴスペル的な要素も強い。そんなことを思っていたら、今度は「光」が冒頭のコーラスからして、さらに明確にゴスペルを意識していた。現代のアメリカのブラックミュージックについて考えるうえで、ゴスペルからの影響というのも大事な論点だが、なるほど嵐的ダンスミュージックを追求するうえで、ゴスペルの要素というのは面白い方向性かもしれない。考えてみれば、「Pray」「彼方へ」という歌詞の世界観も宗教的なところがある。これはこれで、現代という時代に求められているものなのかもしれない。まだまだ「未完」で「untitled」の嵐が、なにを引き受けていくのか楽しみである。

■矢野利裕(やの・としひろ)
1983年、東京都生まれ。批評家、ライター、DJ、イラスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。2014年「自分ならざる者を精一杯に生きる――町田康論」で第57回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。近著に『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」 』(垣内出版)、『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)、共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう)など。

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