32thシングル『聖域』リリースインタビュー

福山雅治が語る、"音楽の源流”から辿りついた表現「いかに今日的な解釈として生み出すか」

もっと好きに音楽を楽しんでいいし、表現していい

――わかりました。では次のキーワードは「ニューオーリンズジャズ」。『SONGLINE』でジャズの源流に出会った体験はかなり大きかったということですが、それはどういう影響になったんでしょう?

福山:以前はジャズという音楽に対して「難しい」とか「敷居が高い」という印象があったんですが、ニューオーリンズジャズの源流を辿って、改めて感じ方が変わったんです。奴隷制度があった当時、不満や怒りを言葉で表現することを禁じられていた黒人奴隷にとって、唯一与えられていた自由な時間が音楽を演奏する時間だったそうです。そこで黒人たちは、フラストレーションや、悲しみや、つかの間の喜びや、未来に対する希望や、いろんな思いを音楽の中でのみ表現していた。そういう話を現地の取材で聞いて。音楽を生業にする人間は、自分が感じていることを、エモーショナルに、もっと自由に表現すべきだと思ったんです。ロックはこうあるべき、J-POPはこうじゃなきゃいけないとか、そういうことではなくて、もっと好きに音楽を楽しんでいいし、表現していい。20数年間の音楽活動をしてきて、ニューオーリンズでのジャズとの出会いで、改めてそう感じたんですね。

――この曲の音楽性には、アメリカとヨーロッパの両方の要素が入っていますよね。決してニューオーリンズジャズのスタイルをそのまま使っているわけではない。ガットギターの音色のおかげで、フラメンコやジプシーミュージックの感じもある。そこもこの曲のポイントなんじゃないかと思ってるんです。このあたりはどう捉えてますか?

福山:ニューオーリンズに行って初めて知ったんですが、もともとフランス人が入植してたところなんです。フレンチ・クオーターという一角にはフランス植民地時代の建造物がそのまま残っていて、そこがお洒落な観光地になっている。中でもバーボン・ストリートという通りが観光名所で、その名前の由来はフランスのブルボン王朝なんです。そこにライブハウスが沢山あって、昼夜問わずいろんなジャンルの音楽が奏でられている。あの街自体に、ヨーロッパとアメリカがミクスチャーされた独特の空気感があるんです。

ーーなるほど。

福山:今やジャズは長い歴史があり、ある種古典のようになっていますが、その始まりはミクスチャーの音楽だったと言えると思うんです。ヨーロッパとアメリカ、そして黒人たちの音楽が混ざり合っていったことによってジャズが生まれた。現代の音楽の現場にいると、ついついジャズやロックやブルースという音楽をジャンルとして捉えがちですけど、その始まりはいろんな音楽のミクスチャーから生まれたもの。だから、そういうケミストリーを自分自身がいかに体現し、今日的な解釈として音楽を生み出すのか? ということは考えました。福山雅治という人間のフィルターを通したら、ジャズだと思ってやっても、純粋なジャズにはならない。ロックだと思ってやっていてもピュアなロックにはならない。そういう自分のフィルターを通じて出た時のミクスチャー感がどうなるかを実験したかったというのはありますね。

――わかりました。そして、バンジョーという楽器も「聖域」のサウンドにおいて、すごく大きな役割を占めている。

福山:そうですね。

――バンジョーって、福山さんは元々長い付き合いのある楽器だったんですか?

福山:全然ないです。先ほど、ニューオーリンズジャズの編成って、ギターがいないという話をしましたが、参加している弦楽器はいたとしてもバンジョー。そこからの刺激もあったし、去年藤原さくらさんの「Soup」をプロデュースしたときに、彼女のスモーキーな声にバンジョーが合うと思って使ったこともあって。そういう経験から、自分の曲でも取り入れてみようと思ったんです。ちなみに今回、僕が弾いてるのはギターバンジョーという楽器なんですよ。

――ギターバンジョーというと?

福山:基本的に6弦ギターと同じチューニングで弾けるバンジョーなんです。バンジョーの世界ではある種亜流とされているものなんですけれど。

――先ほど仰ったように去年の藤原さくらさんの「Soup」をプロデュースした時にもバンジョーは使われていましたけれど、その時はカントリーやブルーグラスのような、アメリカ南部の土着の音楽のテイストでしたよね。でもこの曲のバンジョーは、そことも違う気がします。

福山:そうですね。僕がちゃんとした出自の弾き方ができないからだと思うんですが(笑)。ただ、今までだったら「ちゃんとした人に弾いてもらおう」と思っていたはずなんです。でも、今回は自分のフィルターを通したものを自由にやってみよう、と思って。それでギターバンジョーにトライしてみたんです。 

――ガットギターやバンジョーを使って、今までにない新しい音楽的な挑戦をしようと思った理由というのは、どういうところにあったんでしょう?

福山:これは僕が1990年にデビューしてから27年の音楽の流れについて感じていることなんですけれど、一つ大きな分岐点として「ヒップホップ以前」と「ヒップホップ以降」というものがあると思うんです。でも僕は、これまでヒップホップ以降のエッセンスをまったく取り入れられなかった。「そこじゃないんだろうな、自分は」って、勝手に考えていたんです。でも、ここ20数年の音楽シーンの流れを見ていて、ファッションのように消費されるムーブメントもある一方、ちゃんと定着して音楽の一つのルーツとして続いていくものもある。たとえばヒップホップ文化というのはそういうものだと思います。果たしてその中で自分はどういう音楽との絡み方をするべきか? どうそれを昇華するべきか? と考えたんです。

ーーどういうところからそう考えるようになったんでしょうか。

福山:やっぱり『SONGLINE』が大きかったですね。あの番組では、ブラジルに行ってサンバのルーツに触れたり、オーストラリアのアボリジニに会いにいったり、文字を持たずに音楽でいろんなことを伝えてきた中国の山岳民族に会ったり、いろんな体験をさせていただいた。そこで実際、自分もギター1本持っていけば何となく音楽で対話ができたりするんです。でも、その時にいつも思っていたのは、果たしてこのブラジルのサンバの人たちやニューオーリンズジャズの人たち、アボリジニや中国の山岳民族の人たちに「ああ、日本から来たこの人の音楽はこんな音楽なんだね」とパッと理解してもらえるかとうか、ということで。だから、初めて会った知らない外国の人たちにも「ジャンルはよくわかんないけど面白そうだね」ってノッてくれたり拍手をもらえたりするような曲をもっと作っていきたいと思うようになった。そういうことも大きかったと思います。

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