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『鼻声 / しょっぱい涙』リリースインタビュー

阪本奨悟、シンガーソングライターとして踏み出した新たな一歩 福山雅治の「恩返しとしての継承」

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 例えば、初恋が実らないのは、お互いが夢を見すぎているからだ。

 例えば、喧嘩ばかりしてるように見えるカップルが、実は仲が良かったりするのは、お互いの本音を確かめ合えているからだ。

 そして、何の挫折もなく大人になってしまった人の笑顔がどこか空疎なのは、自分を疑うということを知らないからだ。

 何でこんな話で始めてしまったか。

 5月31日に『鼻声/しょっぱい涙』でメジャーデビューする阪本奨悟が、インタビューの冒頭での「メジャーデビューの心境」という質問に、こう答えたからだ。

「僕は地元に帰ってから音楽を始めて、それから3年くらいになるんですね。3年って普通の状態ではそんなに長い時間じゃないんでしょうけど、僕的にはすごく長く感じていて。それは、やっぱり前に役者としてすごく綺麗な世界、綺麗なステージに立っていたからだと思うんです。一人で音楽を始めた時には、もう誰も自分のことを気に留めないし、ステージまで背中を押してくれたスタッフさんも一人も居なくて、家族との関係性もうまくいってない。自分にとってどん底の時だったんですね。後悔がずっと付きまとっていて、役者をやめない方が良かったかなとか、そんな事ばかり考えていたんですけど、だからこそ、それを反動にして、歌を書けた。それは間違いないです。こんな風に音楽で戻ってこれるとは全く思えなかったですし、その後悔がやっと繋がったというか、前に踏み出す原動力になっている気はするので、今になっていい経験だったなと思っています」

 それは思いがけないくらいに率直な感想だった。

 嬉しいです、頑張ります、という誰もが口にするような感想ではない。出来れば言いたくないだろうなと思われることを、こちらを見据えるようにためらうことなく口にする。それは、自分の中で何かを決断したことのある人間ならではの、潔い言葉だった。

 彼のことはすでに知っているという方も多いはずだ。

 10代の前半でミュージカル『テニスの王子様』やNHKの大河ドラマにも出演している。1万人規模の大舞台も経験済みだ。役者として将来を期待されている存在でありながら、音楽への強い思いから東京を離れてしまった。17才の時だった。

 音楽への強い思い、というのは表向きだろう。

 逃げ帰る、と言った方が良いのかもしれない。

 その時、何があったのか。

「あの頃を振り返ると、本当に視野が狭かったなと思いますね。子役としてアミューズに入ったんですけど、それは親が進めたことだったんで、自分は親の言うことを聞いていただけだったんじゃないかとか。そういう自分がすごく許せなくて、かっこ悪い、何も誇れないなとか。その時も音楽はやっていたんですけど、始めた頃のように キラキラした思いは抱けてなくて。今のままじゃどうせ役者に乗っかって歌ってると見られるんだろうなとか。心も体もボロボロでした。寮にも帰らず、門限も守らず、帰って来ても、外に出歩いて遊んでました。その時は、そういう人間しか自分に寄って来てない時期で、時間を無駄に過ごしていましたね。今思えば、誰に何を言われようが、ちゃんと向き合ってやっていれば、わかってくれる人がいるし、自分次第なんだって事にも気づけなくて、何もかもマイナスに考えていました」

 自分の進路や現状に対しての自問自答。学校も辞め、事務所も辞めて地元関西に帰って一人で音楽活動を始める。と言っても、叱咤激励する人はもちろん、アドバイスをする人すらいない。悶々とした日々ばかりが過ぎて行く。大阪の公演に誘われて見に行き、久々に会った事務所の仲間が「目が死んでる。駄目ですね」と言っていたという声も耳に入る。それが自暴自棄に輪を掛けて行く。

「曲も書くようにはしてたんですけど鬱憤晴らしみたいなものでしたからね。周りの大人達が悪い、みたいに誰かのせいにするようなことをばかり歌ってたんで、路上で歌っても足を止めて聴いてくる人は居ませんでした。僕も変なプライドがありましたし。でも、一緒にやりませんか、って声をかけてくれる人がいて、その人の紹介でライブハウスでやるようになってから、少しずつ変わって行きました。今でも路上ライブをやってるんですけど、1人でも多くの方に聴いて頂けるというのは、とっても素敵なことだと今になって思えますね」

 彼の父親はジャズギタリストで子供の頃から家にジャズが流れていたという。初めて曲を書いたのも14才の時だった。東京に来てから書いた曲だけで、すでに100曲くらいはストックがあるのだそうだ。

 大阪など、関西での活動が東京に伝わるようになり、メジャーでやらないかというレコード会社も登場する。一度辞めた人間を戻すことはしない、というこれまでの事務所の方針を変えたのが、福山雅治だった。

「初めてお会いしたのは16才の時、横浜アリーナで挨拶させて頂きました。17才のバースデーイベントがあって、その時に福山さんがギターをサプライズでプレゼントしてくれたんです。その直後に地元に帰ってしまったんで、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたけど、ギターは持って帰りました。部屋に飾っていました。貸してもらったという感じだったんで『いつか返してね』って言われてたんですけど、帰っちゃいましたからね。『じゃあ、それをあげるから一曲作って送ってよ』って言ってくださって。帰ってすぐに曲を書いてCDに焼いて送りましたけど、どん底の時で、ただ、後悔を歌ってるだけ、みたいな歌。あの頃作った歌は今、絶対聴きたくないというクオリティですけど、そんな歌を福山さんに送ってしまった自分が怖いです(笑)」

 その人の一生を決める決断は、年齢に関係がないのだと思う。一番、華やかな時に自分を捨てる。そのままの成り行きに身を任せることを拒み、自ら道を外れてしまう。若気の至り、青臭く生意気で不器用。そして、時が経ち、それがどういうことだったのか、分かるようになる。

 それが、その人を成長させないはずがない。

      

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