織田哲郎が語る、“名曲”が生まれる条件「思いつきの破壊力プラス構築力の高さ」

織田哲郎が語る、音楽の理想の形

 織田哲郎が、シングル『CAFE BROKEN HEART』を7月5日にリリースした。表題曲の「CAFE BROKEN HEART」は、シンプルな弾き語りでシンガー織田哲郎の魅力を伝える、深みのある一曲だ。今回のインタビューでは、その制作経緯やきっかけから、織田がギタリストとしても活動しているバンド・ROLL-B DINOSAURとの関わり、さらにはプロデューサーとしての視点まで、長きに渡って音楽シーンの第一線で活躍してきたその視座からじっくりと語ってもらった。(編集部)

自分の作品には、戦略がない

ーーリアルサウンドでは2013年、『W FACE』の完成記念インタビューを前後編に分けて掲載しました。「ポップの本質は一発芸だ」というお話があり、今なお刺激を受けています。

織田哲郎(以下、織田):いや、あれからもう3年半ですか。最近、時の流れが早いですね。

ーー今回のようなソロワークもあり、作家としての活躍もありますから、時間が過ぎるのが早いんでしょうね。

織田:そうですね。ただ考えてみると、20代の頃はもっとハードでした。スタジオにいるのが好きだったから、ほとんど寝ずに何十時間もずっといたり。周りは迷惑だったでしょうね(笑)。

ーーそういうスタイルがいまも続いているのでしょうか? それとも、時間の使い方はどこかで仕切り直したのか。

織田:まず一回、30代を迎える時に仕切り直しはしましたね。29歳の時、本当に1年間ほとんど寝なかったんですよ。「こんな30歳を迎える予定じゃなかったぞ。1年間、来る仕事を全部やってやろう」と思って。それで、スケジュール帳を24時間フルに使って、全部仕事を入れていたんです。2週間まるまる一睡もしなかったこともあって、ちょっとアタマがおかしくなってましたね(笑)。それで、肌は荒れるわ、生え際は上がるわみたいな感じになって、「これはダメだ。落ち着け、俺」と。

ーー1987~1988年ぐらいの頃ですね。

織田:そこでまず落ち着いて、ある程度ペースダウンしたんです。でも、また1995年ぐらいから社長業が忙しくなってきて。プロデューサーとして音楽を作っているだけならいいけれど、社長としてレコード会社の人とお金とかの話をするのは全然好きじゃない。そういうことがストレスになってきて、酒浸りになって、それでもタフだから、吐きながらスタジオに行ってまた音楽を作る……そういう数年間があったなかで、2000年にスペインで強盗障害事件に遭ったんですよ。そこでまた、「ちょっと待て、俺」ということで、ペースダウンができて。ああいうことでもないと、本当に体を壊すまでやり続けていたと思うので、そういう意味ではありがたかったですね。

ーー図らずも転機になったと。

織田:首を絞められて、歌が歌えなくなって。そうすると、立ち止まって人生を見つめ直そう、と思わざるを得なかったですから。酒も断って、いろいろ考える時間ができたんですよ。5~6年後くらいにまたひどく飲む時期があったものの、最近はそんなに飲まなくなりましたね。いまはとてもいいペースで、楽しくやれていると思います。

ーー前回のインタビューでは、ROLL-B DINOSAUR(織田哲郎/Gt、ダイアモンド✡ユカイ/Vo、CHERRY/Dr、ASAKI/Gt、JOE/Ba)の結成に際して、濃い音楽論をうかがいました。今作『CAFE BROKEN HEART』はソロワークとしてリリースされますが、制作のスタンスには違いがありますか?

織田:そうですね。バンドやほかのアーティストに提供する曲は、「こういうものが望まれていて、こういうふうに裏切ったりするといいかもしれない」と、職人として意識的に作っている部分があるんです。でも自分の作品には、そういう戦略がない。何も考えずに、いま何を出したいか、ということが結果的に作品になるというか。だから自分でも、「俺っていま、こういうものを作りたかったんだ」と気付かされるような、不思議な感覚ですね。

ーー表題曲の「CAFE BROKEN HEART」は、シンプルなアレンジで歌に引き込まれるような楽曲でした。なぜこういう作品になったのでしょうか。

織田:ひとつには、自分が歌うものとして、自分と近い世代の人に伝えたい思いがあったんだと思うんです。できてみて、リスナーのみなさんと同じように「この歌はいろんなふうに読み取れるな」と感じることができましたしね。例えば、同世代の人に対してのエールと、一方で絶望感もあるというか。そのどちらにも捉えられると思う。僕は「生きている間は、とにかく今日より明日のほうがよくならないとイヤだ」と思っているけれど、年をとってくると、無力感に襲われるときもあって。そういうときは、とりあえず酒でも飲んで憂さを晴らしながら、また生きていくしかない。

ーー生きることの“苦み”のようなものが、この曲のひとつの重要な要素でもあります。

織田:そうですね。実のところ、そうとう苦い歌です(笑)。

ーーしかし、柔らかい歌声によって心地よい音楽としても聴くことができます。

織田:絶望感もあるけれど、人の営みのようなもの自体が愛おしくなる、というのかな。だからそういう歌になったんだろうと思います。

ーー同世代へのエール、というお話もありました。音楽シーンの動向を踏まえると、例えば、80年代、90年代の音楽産業が盛り上がった時期を経験されてきたわけですが、それをどう捉えていますか?

織田:振り返ってみて、CDが史上最も売れた時代に音楽をやってこられたのは、とてもありがたいなと思います。ただ当時から、「続かない祭りだな」とも考えていて。だから、音楽を数字で語ることが普通だという時代に巻き込まれないように、弾き語りツアーをやったりしていたんですよね。僕が好きなのは、現場で音楽を作ることだから。

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