坂本龍一のキャリアにおける映画音楽の重要性 『戦メリ』から『怒り』までの変化を追う

 最近の3作では、『母と暮せば』が一番メロディアスで古風な映画音楽に近い。情緒を細やかにすくいあげる山田洋次監督の作風にあわせた曲調であると同時に、坂本はインタビューで小津安二郎など黄金時代の松竹映画へのオマージュだと語っている。先に触れた坂本監修の音楽全集『commons:schola』では、vol.10を映画音楽の巻にあてていた。ジャンルの歴史をふり返ったことが、『母に暮せば』のオマージュという創作姿勢にもつながっているはず。ただ、メロディアスであるが、動的ではなく控えめな音楽だ。

 一方、『レヴェナント』は、息子を殺された男の復讐劇であり、行動にも感情にも激しさがある。そんなストーリーとは反対に、以前にもコラボ作を発表したエレクトロニカのアーティスト、アルヴァ・ノトやブライス・デスナーと組んだ坂本のサントラは、むしろ静謐でアンビエント色の強い曲が多い。

 『怒り』も題名通り激しい感情が作品の核にあり、夫婦惨殺事件の犯人が顔を整形し逃亡している状況で、3名の疑わしい人物が現れるという内容だ。坂本は、リフレイン主体のミニマルな曲を多く書いている。『レヴェナント』でも『怒り』でも、物語における激しい行動や感情に対し、起伏の多いメロディで激しさのイメージを増幅することはしていない。

 大病を患った後であり、仕事を選ぶべき時期だった。休養前に引き受けた『母と暮せば』は、長崎への原爆投下で死んだ息子が、母のもとへ帰って来る話だった。『怒り』では、3人の疑わしい人物がいる千葉、東京、沖縄の各地を描くなかに、在日米軍基地の米兵による暴行問題が織り込まれていた。『レヴェナント』の場合は、『バベル』(2006年)でも組んだイニャリトゥ監督の依頼であることが大きかったが、この復讐劇は過酷な自然のなかで展開される。それについて坂本は、東日本大震災でみせつけられた自然の脅威と重ねあわせた発言もしている。

 かねてより反原発、非戦を主張し、3・11後はさらに社会派的な言動が目立った坂本が、3作を復帰後の仕事に選んだのは理解できる。だが、それらのサントラは、なにかを声高に主張するような音楽にはなっていない。

 例えば、『怒り』の場合、流暢なメロディにはなりきれない点描的なフレーズが繰り返される。ピアノやストリングスなどによるミニマルな曲が、映画の前半では小さな音量で流される。劇中では坂本の音楽以外に、店やイベントで鳴らされる曲、酒席で歌われる沖縄民謡も出てくる。それらのほうがわかりやすいメロディで、音量が大きかったりする。

 だが、サントラに「表せない怒り」という曲があるように、物語のテーマは、外に向けてストレートに吐き出すことのできない感情のありかたなのだ。街のざわめきや足音などの現実音の隙間から聴こえる坂本の曲は、そのもどかしさを表現する。終盤になり、登場人物の内圧の高まりとともに音楽の音量が増すと、彼らの怒りの表せなさが迫って来る。劇中の音楽は起伏のあるメロディにはなりきれないフレーズのリフレインであり続ける。物語が終った後のエンディング・クレジットで2CELLOSをフィーチャーした主題曲「M21 - 許し forgiveness」が流れる以外は、メロディらしいメロディは出てこない。

 感情をわかりやすく煽って単純化するための音楽ではなく、不安、緊張、怒り、喜びなどの感情の不定形さを音にする。坂本龍一の映画音楽は、そのように作られている。言葉で主張する社会派である時と音楽家としての彼では、表現の性質が違う。そこでは、主張にならない感情が奏でられている。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。

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