過去作再現ライブ、楽曲とリスナーの関係性どう写す? GRAPEVINEとTRICERATOPSを例に考察

GRAPEVINE 田中和将(Vo・G)

 一方、GRAPEVINE(以下、バイン)の『退屈の花』は、病気療養のため2002年にバンドを脱退した西原誠(B)を含むオリジナル・メンバーの4人で制作したデビュー・アルバム。全員が曲を作ることもあり、GRAPEVINEというバンドのレンジの広さは、当時から顕著だった。王道の歌ものやロックンロール・ナンバー、ジャム・セッションから派生した曲などアルバムを重ねながら音楽性を広げ、深めてきたバイン。今年2月にリリースした14枚目のアルバム『BABEL,BABEL』では、高野寛がサウンド・プロデュースを務めた曲も収録されたが、これまでにも、根岸孝旨や長田進をプロデューサーに迎えたり、また時にはセルフ・プロデュースで、常に新しい刺激を求めながらコンスタントに作品を発表してきた。今回の再現ライブでも、曲によってはテルミンやリコーダーを使うなど、その定型にはまらない柔軟さが発揮されていたように思う。

GRAPEVINE 西川弘剛(G)

 初期の代表曲でもある「君を待つ間」や「そら」はもちろんだが、アルバム収録曲「涙と身体」や「愁眠」での、年を重ね深みと表現力の増した田中の歌は、バンドが積み重ねてきた歴史の表れだろう。観客を終始エンターテインし続けたトライセラと比較し、バインは常にたゆまぬ緊張感を生み出していた。バインはオーディエンスも含めたライブの空気作りが巧みだ。初期のバインは、蒼く鬱屈としたムードの曲が多い印象があるが、この日も『退屈の花』本来のシリアスでヘヴィな感触は残したままだった。

GRAPEVINE 亀井亨(Dr)

 両バンドとも、ライブの見せ方はそれぞれ違っていた。しかし、共にライブの主役はオーディエンスにあった、という部分では共通していたのでないだろうか。『TRICERATOPS』と『退屈の花』を聴いて胸を打たれた当時の記憶を呼び起こす手助けをしてくれる、そんな風にすら感じるステージだったのだ。この2枚のアルバムを通して、同じ時代、同じ感覚を共有してきた人々に向けて、今改めてその曲たちを鳴らすーー今回の再現ライブは、その往年のファンとパーソナルなコミュニケーションを育む、ファン・サービス的な側面もあったのかもしれない。

GRAPEVINE

 もちろん、再現ライブは決して過去を懐かしむためだけのものではない。20年近くバンドを続けていれば、個々の演奏スキルやバンドのグルーブは向上するし、その曲をどう表現するのか、その選択肢がより自由になり、表現力も豊かになっていく。その培ってきた経験をもとに、GRAPEVINEもTRICERATOPSも、当時の音源をそのまま再現するだけではなく、2016年のバンドの現在地を刻み、そしてこれから先の未来をも予感させるステージを見せていた。そして、そうすることで、集まったファンもアルバムの楽しみ方を再発見できたのではないだろうか。

 再現ライブは、作品の細部まで味わうことで、より濃い音楽体験をすることができる。そして、リスナーも、発売当時、あるいは初めてそのアルバムに出会った時から、その曲を繰り返し聴いて自分なりに解釈して楽しんでいる。そのように、ひとりひとりが積み重ねてきた記憶と音楽が強く結びついているからこそ、再現ライブには、どこか親密で特別な雰囲気が漂っているのだろう。再現ライブを行っているのは、その時々の流行を追いすぎるわけではなく、かと言ってまったく無視するわけでもなく、淡々と活動を続け、今では他に類を見ないオリジナルな立ち位置を築いたバンドばかりだ。再現ライブは、誰だって開催できるものではない。流行と絶妙に距離をとりながらも、時代が巡っても、なお色褪せない曲を生み出すことで愛されてきた者だけの、特権なのかもしれない。

(文=若田悠希/撮影=岡田貴之)

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