『ヨシ子さん』リリース記念企画
桑田佳祐、ネット初登場! 新曲と音楽を大いに語る「狙ってたらヒット曲ってやっぱりできない」(インタビュアー:萩原健太)
「理屈通りにはいかないよね、音楽と大衆の心は(笑)」
萩原:活動休止前、日産スタジアムのライブに行ったとき、お客さんの盛り上がりとか見ながら、“ああ、俺が抱いているサザンへの思いは、もうぜんぜん違うんだなあ”って思ったのね。初期の魅力にこだわりすぎていて、もはや現実的じゃないんだな、と。つまりサザンオールスターズ、桑田佳祐が背負っている期待とか思いとかは、初期からは想像ができないくらいデカいものになっていて。もちろん、それにガッカリしたわけじゃなく、完全に別ものなんだとあのライブで思い知らされたというか。だからこそ、今回「ヨシ子さん」に初期の手触りみたいなものがちらっと見えただけで、こんなによろこんじゃうわけ(笑)。
桑田:回帰しようとか、そういう気持ちがあったわけじゃないんだけどね。デビュー当時、 “人のマネじゃん!”って言われても全然恥ずかしくなかったというか、責任感も無いし、とても身勝手だったデビュー前のアマチュアの頃の話ね。たぶん、あの頃の衝動みたいなものを目指すっていうのは、今はもう、ムリだと思うよ。
初期の『熱い胸さわぎ』(78年)ってアルバムとか、それから若いころにやってたツアーのやり方とか、ライブのやり方とか。前も後ろもわからず七転八倒してたよな。あの頃の真似事はもうイイよ(笑)。
でも、なかなか今は便利になってね。そういう意味では、この頃小ズルくなっているのかもしれないけどね(笑)。
萩原:でも、若いころにはできなかった表現ができるようになっているのも事実だろうし。例えばボブ・ディランがフランク・シナトラのレパートリーばっかり歌ったアルバムを出したり、あるいはポール・マッカートニーがダイアナ・クラールのピアノ・トリオを従えて、スタンダードナンバーばっかり歌ったアルバムを出したり。他人の曲を自分の表現にしている。あれは若いときには絶対にできなかったことのような気もするし。歌謡曲を歌いまくった番組も、ここまでやってきたからこそできたところがあるでしょ?
桑田:そりゃそうだよね。でも、我々がデビューした当時、38年前は、70過ぎてから、カバーを歌って売れている人っていなかったなぁ。
萩原:ディランなんかにしてみると、自分が60年代に作った曲なんかもうトラッドになっちゃっているようなところがあって、その曲を歌ってもカバーみたいなもの(笑)。そこまで行ったら誰の曲を歌っても一緒だというか。僕は桑田佳祐に、どうせならそこまで行っちゃってほしいな、と思うんだよね。もういいだろうと。随分いい曲残しているしさ。
桑田:でも、相変わらず欲望みたいなものがあって、いまだにもっと売れたいとか、変わったことをやりたいとか、褒められたいとか、そういうものがまだアタシの中にニョキニョキとくぐもっていてね。
ディランやポールみたいになれりゃいいんだけれど、今のところ全然ダメで、くよくよしたり、ブレ続けてますね。
萩原:桑田佳祐という人は、日本で一番、桑田佳祐を過小評価しているような気がする。誇っていいところがいっぱいあるのに。ところで、今回の初回盤に東日本大震災の被災地・女川のFMで生放送した時の音源が入っていて、それ聴きながら思い出したんだけど。震災のときもいち早く、支援するための曲(チーム・アミューズ!!「Let's try again」)を作ったりしてたじゃない。すごく大切なことだったと思うんだけど、一方で、ちょうど同じ時期にテレビCMで「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」がよくかかっていて。あの曲は別に震災のことを考えて作った曲じゃないのに、当時、どれだけ多くの人の心に響いたか、と思うんだよ。<現在がどんなにやるせなくても 明日は今日より素晴らしい>という歌詞も含めてね。そんなふうに、作る側がどんな思いを曲に託そうと、受け止める側は一人ひとり、それぞれスペシャルなものとして勝手に受け止めちゃうんだから、桑田ももっとざっくりやっていい気がするなぁ。
桑田:そんな事言われても困るよ(笑)。その時その時で、オレは精一杯なんだからさ。まああんまり丁寧にやり過ぎて、そーっと置くとつまらないものになったりするね。
だから、言っていることはすごく分かる。昔からあなた、デビューする前からそういうことをオレに言うんだけど、その“ざっくり”っていうことをね、出来るだけ心がけようとは思うけどね。
音楽をやっていて、よく“狙ってヒット曲は書けるか?”なんて言うけれど、狙ってたらヒット曲ってやっぱりできなくて。人の心の琴線に触れるものはさりげない偶然とか、単なる思いつきから発生するでしょ。なかなか、理屈通りにはいかないよね、音楽と大衆の心は(笑)。