まなみのりさ5thワンマンライブレポート なぜ特別な意味を持つイベントとなったか?
3月26日、新宿ReNYにて、アイドルグループまなみのりさの5thワンマンライブ『MMResults~まみりざるつ~』が開催された。
このワンマンは、彼女たちにとって特別な意味を持ったイベントだった。どう特別だったのか。彼女たちのプロフィールを軽くたどりながら、まずそれを説明しておきたい。
Re:start、Revolution、Results
まなみのりさは、アクターズスクール広島のスクール生3名で結成されたグループである。一風変わったグループ名は、3人の名前をしりとりのように繋げたものだ。谷野愛美(まなみ)、岡山みのり(みのり)、松前吏紗(りさ)をつづめて、まなみのりさ、である。
2007年にインディーズでデビュー。地元・広島を拠点に活動を続け、実力と人気を得ていき、2011年には全国のご当地アイドルが競うホリプロ主催の『U.M.U AWARD 2011』でグランプリを獲得した(前年のグランプリはNegicco)。翌2012年の『U.M.Uご当地アイドルフェスティバル~ジモラブNo.1決定戦』でも優勝し、同年8月に9thシングル『BLISTER』でメジャーデビューを果たした。東京での初ワンマンライブも成功させた。
時間はかかったものの、幸先の良いメジャーデビューを飾ったかに見えた。アクターズスクール広島の先輩であるPerfumeに次ぐ知名度と人気を地元では誇っていただけに、ファンをはじめとする周囲の期待も高かった。
だが、期待にそぐう結果は出なかった。メンバーたちにもこのメジャーデビューは遺恨として残ったようで、「あの頃の自分たちは甘かった。弱かった。うまくいかなくてくやしかった」と後のインタビューなどで振り返っている。
インディーズに戻り、ミニアルバム『まみりサンダー』、ベストアルバム『まみりBEST~ポラリス~』をリリースしたものの、シングルの発表は約2年間も途絶えた。その新シングル『桜エトランゼ』にしても、オリジナル・ビデオ・アニメーションのキャラクター・イメージソングという企画盤めいたものであった。
順風とは言い難いそんな状況の中、2014年4月にまなみのりさは活動の拠点を東京に移した。無謀にも思えるこの決断について、メンバーはいくつかのインタビューで「武道館という夢を叶えるため」「地元広島へ恩返しするため」と語っていた。
だがというべきか、案の定というべきか、厳しい現実に晒されることになる。上京直後のまなみのりさを見ていたという経済学者の田中秀臣氏が、近著『ご当地アイドルの経済学』(イースト新書)にその頃の様子を書いている。
「東京に移った直後に目にした光景は、広島時代の栄光とは正反対のものでした。平日のわりと早い時間に彼女たちのライブに何度か行ったのですが、会場にいる観客は数名から多いときでも十数名でした。ライブが終了しても物販にはほとんど人が来ないような状況だったのです」
しかし彼女たちはめげずにライブを数多く(本当に驚く本数である)重ねて動員を増やしていき、2015年1月には3rdワンマン『MMRe:start』を開催できるまでに失地回復を遂げた。
2015年2月から出場したアイドルバトル番組『アイドルお宝くじ』(テレビ朝日)で、番組史上最多の11週連続勝ち抜きを果たしたことも大きかった。長期間地上波に露出する機会を勝ち取ったことを追い風に、7月にはキャパを3倍に増やした4thワンマン『MMRevolution』を成功させた。12月には『BLISTER』から数えると実に3年4ヶ月ぶりとなる10枚目のシングル、そしてメジャー再デビュー曲でもある『ν(ニュー)ポラリスAb/逆襲のポラリス』もリリースした。
ゴールテープの先にはキミがいた どんな時も
ビリになっても だから 僕は胸を張る
もう1度預けてよ その想いを その祈りを
(「逆襲のポラリス」)
「逆襲のポラリス」についてみのりは、ライブやリリースイベントで「過去の弱かった自分に逆襲したい」「ファンのみんなと一緒に逆襲したい」と話した。「結果を残したい」とも。
逆境から「Re:start」し「Revolution」を目指してきた逆襲の「結果=Results」を見せること。
5thの「Results」にはそんな意味と思いが込められているのである。それはまた、確実な成果を出しそびれたままデビューから9年という歳月を経てしまった自分たちの活動を総括し、次のステップへと歩みを進めるための「結果」でもあるだろう。