怒髪天は“人生の教科書”と呼ぶべき作品を生み出した 最新作『五十乃花』の静かなる挑戦

 「今度のアルバム、何枚目か解んないけど。数えてもいないもんなぁ。“これ絶対間違いねぇぞ!”“最高だ!”と思えるのは幸せだよ。」

 今年1月のシングル『セイノワ』リリース時のインタビュー(参考記事:怒髪天・増子直純が語る、熟練ロックの醍醐味「バンドは歳を重ねたほうがいいものが出来る」)においての増子直純(Vo)のそんな言葉もあったが、オリジナルアルバムとしては3年ぶり12作目となる怒髪天のニューアルバム『五十乃花』(ゴンジュノハナ)が3月16日にリリースされた。全10曲約42分という内容は、近年のフルアルバム事情から見れば短いようにも思えるが、そこは怒髪天、じつに濃厚であり強烈なインパクトを放つ。それでいて何度でもリピートしたくなるのは、怒髪天の持つキャッチー性だろう。ハードコア・パンク、ビート・ロック、カントリー、スワンプ・ロック、ロックステディ、ミュージカル……、などなど次々とぶち込まれていくやりたい放題のジャンルレスな10曲は、どれも類似することのない振れ幅を見せ、怒髪天というバンドの、懐の深さを改めて感じさせられる。貫禄に負けない得体の知れない迫力と、喧騒の裏側にある厳しくも美しい、おっさんたちの静かなる挑戦を感じる快作であり、とんでもない怪作である。

 80'sハードコア・パンク直球のナンバー、タイトル通りの世相を一刀両断する「天誅コア」でアルバムの幕は開ける。〈負けましたと言わなきゃ 俺の負けにならない〉なんて、いかにもな俺様ルールを掲げた「無敗伝説」、バンドの本懐をバシっと硬派にキメる「セイノワ」へ。かと思えば、己をゴミと自嘲気味に歌う「可燃モノ」、男一匹ロック任侠道「69893」では、さらに凄味を増したアクの強い怒髪天節を轟かせる……、と思いきや、この曲はなんと柴山俊之(サンハウス)から贈られたもの。日本の重鎮ロッカーから見た“怒髪天評”とも取れる楽曲だ。

 「今考えている伝えたいこと、叫びたいことをすべて曲に込めた」というように、今作はメッセージ色の強い楽曲が多い。お得意の能天気な騒々しさとは一味違い、どこかシニカルで、いつになく攻撃性を秘めているのである。そもそもロックというものの、その史上を振り返れば、社会に対する不満や不安をエネルギーに変えてきた節もある。批判や糺弾、人によっては不快に捉えられてしまうことですら、ときに必要な場合だってあるのだ。だが、怒髪天の今作は力強いメッセージと攻撃性を忍ばせながらも、そうした負の要素や嫌味すらもまったく感じさせない。彼らはいつだってそうだ。我々の上にではなく、横に居るのである。「受け手側が生活の中心に何を見ているかで聴こえ方が違ってくる」『セイノワ』について語っていた増子の言葉を思い出す。「ああしろ、こうしろ」という強制も強要もしない。「がんばれよ」「きっといいことあるよ」なんて無責任な他人事も言わない。怒髪天の歌は、聴いて“共感”するというよりも、“共鳴”するという表現のほうが近いだろう。今作で直接的なメッセージがあるとするのなら、「せかいをてきに…」の〈世界を敵にまわしてやろうぜ〉だろうか。しかし、反骨精神を見せながらも次に続く言葉は〈俺たちだけでまた始めようぜ〉である。

 さらに特筆すべきは、ごちゃまぜでジャンレスな楽曲ながらも支離滅裂になることなく、シンプルながら説得力のある図太いバンドサウンドである。これまで以上にタイトでずっしりとしたリズムとダイナミックなサウンドが鳴らされている。サウンド面にも用途やジャンルの多様化が求められる昨今ではあるが、それを用いずともメンバー各々の巧みなプレイと絶妙なアレンジ、緩急をつけながらのアンサンブルだけで、バラエティに富んだ変幻自在の様相をみせていく。異様なまでに抜けの良い坂詰克彦(Dr)のドラムと、どっしりと土台を司る清水泰次(Ba)のベースがメリハリの効いたグルーヴを生み出し、ハードロックからカントリーリック、スケールアウトしていくようなフレーズまで自在に操る上原子友康(Gt)の軽やかで歯切れの良いアタックと、滑らかで豊潤なトーンのギターが紡いでいく。派手ではないが、鈍い光を放つ分厚いテクスチャが容赦なく溢れ出る極上のバンドサウンド。ここに人を喰ったようにがなる増子の歌が乗れば、唯一無二の存在になるのだ。

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