a flood of circle佐々木亮介が表明する、“ロックンロール”への危機感「一番ポップな部分から、バンドが置き去りにされてる」

afoc佐々木が表明する、“ロックンロール”への危機感

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「すごくわかりにくいところにはいると思っている」

――世界的な潮流としては、たしかにそうですよね。いわゆるポップスのメインストリームで新しいアートフォームを生み出しているのは、やっぱりR&Bやヒップホップの分野だと思う。たとえばザ・ウィークエンドのようなシンガーもいるし、ディアンジェロの復活もビッグニュースになったし。

佐々木:俺はディアンジェロはかなりのレアケースだと思ってますけどね。でも、ザ・ウィークエンドとかジャネール・モネイみたいな、格好いいと思えるリズム&ブルースの人たちは沢山いるんです。実際、音楽が進化している感じもある。でも、やっぱりそれはバンドじゃない。

――どうしてもそこが引っかかるわけですね。

佐々木:俺は結局バンドが好きで音楽を聴き始めたわけですからね。最初の衝撃がスピッツとビートルズなんで。そこからブルースが好きになって、キャラの立ったブルースシンガーとかリズム&ブルースを聴き始めて、同時代に辿り着いているリスナーなんで。どうしてもそこが音楽リスナーとしても寂しかったり物足りなかったりする。

――たしかにそうですよね。英米の音楽シーンを見ていると、音楽を進化させていく気概を持った表現者がいるのはロック・バンドの領域ではない。そういう世界的な潮流がある。一方で、日本のシーンに感じていることはどうでしょう? 日本においての「ロックンロール・バンド」というのは、どういう状況にあるか。

佐々木:うーん、だいぶ話を変えなきゃいけない気がしますけど……。そうだなあ、自分たちは『ロッケンロー☆サミット』というイベントに出たことがあって。

――毎年恒例でやっているライブイベントですよね。ギターウルフやザ・マックショウやSAやTHE NEATBEATSが出演している。

佐々木:そこに出た時に、お客さんから「a flood of circleは伝統芸能じゃないからいらない」って言われたことがあったんです(苦笑)。そこに出ている先輩は熱いバンドばっかりだし、俺は伝統芸能なんて思わないし、みんな大好きなバンドなんです。でも、そういう場所でそういうことを言われたりする。でも一方で、俺らが巨大フェスに出ていくと、「あ、ロックンロールね」って言われちゃうみたいな。すごく変なところにいるんですよ。

――なるほど。すごく板挟みなところがある。

佐々木:そうですね。

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――僕としては、そこに佐々木亮介というミュージシャン、a flood of circleというバンドの持つ大きなジレンマがあると思うんです。つまり、ロックンロールの世界には「様式美」というものがある。それは決して悪いものではない。様式美の格好良さも当然ある。だけど、佐々木亮介という人は、ロックンロールという音楽を愛している一方で、今まで話してもらったように様式をぶっ壊して革新的なことをやる人に魅かれるもう一方の面がある。その二つが同居している特殊な音楽家であるという自己認識があるんじゃないか、と。

佐々木:そうですね、だから……そういう認識を持った上で、日本語でロックンロールをやろうと思ってますね。日本語じゃなきゃできない表現、コード展開やサビのあり方を大切に、そこにこだわってやるのが大事だと思う。

――でも、それはわかりやすいポジションにはおさまらないですよね。

佐々木:たしかに、すごくわかりにくいところにはいると思っているんですよね。さっき言ったような「伝統芸能」を欲しがっている人には求められていないし、かといって、洋楽との同時代性を大事にしているような価値観の人からは「どうでもいい」と思われているだろうし。

――さっき言った横軸、その全部から浮いた存在になっている。

佐々木:そう。だから俺らを着地させられるかどうかは、今自分がやっているロックンロールをみんなの耳に届く場所に持っていけるかっていう、そこにかかってると思いますね。それと、音楽的にどれだけアップデートしていけるか。自分がいろんな音楽を聴いて吸収した感覚を、転調のやり方とか、リズムパターンとか、具体的な音楽的なところでどれだけ活かせるか。本当はそれを説明しなきゃ伝わらないんだったらやる意味ないと思っていて。まあ、今は説明しちゃってますけれど(笑)。

――ははははは。

佐々木:でも、どんな音楽を取り入れたかなんて、インタビューでもあまり聴かれないし。そもそも「シャミールのアナログ盤聴いてる」なんて話、今初めて話したし(笑)。

――でも、こういう話、かなり面白いですよ。僕は前にa flood of circleが「KIDS」という曲をリリースした時のインタビューで「あれはソカのビートを取り入れたリズムパターンなんだ」という話を聞いたのを覚えていて。もともとは中南米で広まった「ドンタ・ドッタ・ドタドタ・ドッタ」というビートを人力でロックンロール・バンドが取り入れたのは一つの革新だったと思うんです。日本のフェスの場で戦っているバンドでも、こういう風に、いろんな音楽を聴いて、それを咀嚼しているバンドがちゃんと評価される土壌があっていいと思う。

a flood of circle / KIDS

佐々木:まあ、自分としてはどれだけ新しい曲が書けるかだと思ってます。ただ、新しい曲を書くっていう発想の中でも、日本のマーケットの中で新しいことをやるということことなのか、たとえば海外のリズム&ブルースとかエレクトロとか、なんでもかんでも意識して新しいことをやるのか、っていうのは意味が違うじゃないですか。俺もそういうことを頭の片隅で考えてたりはするんですよ。そういうものを表現しきれないもどかしさもある。それは確かにジレンマだとは思ってますね。でも、やっぱり日本語でロックンロールをやろうと思ってるんですよ。その上で自分の中で武器だと思うところもある。

――どういうところが武器だと感じてるんでしょうか。

佐々木:スピッツさんだったり、中島みゆきさんだったり、高田渡さんだったり、日本語でしかできない格好いい表現というものがあると思うんです。俺としては英語じゃないとロックンロールに似合わないなんて全く思わないし。

――日本語というところがポイントである。そこでスピッツと中島みゆきと高田渡というのが三つの例としてあがった。それはどういうところが魅力だと捉えているんでしょうか。

佐々木:自分の中の武器たるゆえん、っていうことですよね? そうだなあ、全部キャラクターが違うんですけど、まず高田渡さんについては、あの人の歌詞はほとんど現代詩なんです。 自分で歌詞を書いた曲もあるんですけれど、アメリカのフォークのスタンダードに谷川俊太郎さんのような詩人が書いた詩を乗せて歌っている。それも、かなり独特の間があるんです。曲調もブロークンというか、12小節進行と見せかけて13小節だったり、シャッフルと見せかけて途中から普通のビートになったりする。そこに乗る日本語の気持ち良さっていうのは、英語では絶対出ないものだと思いますね。外人が聴いても気持ちいい日本語の歌い方だと思う。

――中島みゆきについてはどうでしょう?

佐々木:中島みゆきさんは逆にすごく日本的だと思う。歌詞がものすごく具体的なんですよね。発音とか韻文的な気持ち良さを全部捨ててメッセージを書いている。それが老若男女問わず刺さる。すごく強いと思います。

――スピッツは?

佐々木:スピッツって、すごく変なバンドだと思うんです。歌詞もやっぱり異常だと思う。昔のインタビューで「セックスと死のことしか書いてない」と言っていて。そう思って読んだら本当にそのことしか書いてないように見えたりする。言葉と言葉の整合性がなくて、一見、意味がわからない歌詞を書いているように見えるんです。でも、そこから何かが立ちあがってくる。関係ない言葉と言葉の間に物語が生まれるというか。そういう詩の書き方、物語の立ち上げ方が、日本語じゃなきゃできないことをやってる感じがする。英単語の組み合わせじゃなくて、たとえば「あくび」みたいに丸みを帯びた日本語の響きじゃないと出てこない美しさがある。それはやっぱり他のバンドには感じたことない特別なフィーリングだと思います。

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