姫乃たまのユニット作『僕とジョルジュ』が放つ異彩 底なし沼のような“怪作”を読み解く

 『僕とジョルジュ』には、物憂げで背徳的なフレンチ・ポップ風味の楽曲が多い。そして、最短で13秒、最長でも3分29秒という楽曲の短さで、その展開のめまぐるしさは、さながらアヴァン・ポップだ。モーガン・フィッシャーのアルバムを聴いているかのような錯覚にも陥る。

 中盤でダメ押しのように迫ってくるのが「恋のジュジュカ」だ。女声による「抱いて」という囁きと、男声による叫びが交錯する。それはまるで、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ダブル・ファンタジー」でオノ・ヨーコが「抱いて」と言い続ける「キス・キス・キス」と、ローリング・ストーンズの「この世界に愛を(We Love You)」のサイケデリックな妖しさを、1曲中で強引に交配させたかのようなのだ。

 また、60年代英国風ロックの「巨大な遊園地」は、ビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」を聴いているかのような大団円感がある。何が何だかわからないが大団円だ。次の楽曲でアルバムは終わる。

 『僕とジョルジュ』で何よりも新鮮なのは、ヴォーカリストとしての姫乃たまだ。失礼ながら、これほど「歌える」ヴォーカリストであったことを『僕とジョルジュ』を通じて初めて知った。また、作詞も姫乃たまが担当しているが、彼女が溌剌と歌う「健康な花嫁」では、変なことは一切歌っていないのに何かがおかしい。すると、「お薬もやめるわ / いつかできる」という歌詞が終盤に出てくる。歌詞の主人公はおそらく薬漬けだ。サラッとした「闇」の見せ方がうまい。

 ポップなのだが、少し退廃的で神経症的。『僕とジョルジュ』を聴き終えて思い出したのは、かつてSPANK HAPPYというグループにいた岩澤瞳という不世出のヴォーカリストのことだ。岩澤瞳が引退してから、かれこれ11年ほど彼女を忘れられないという奇病を私は患い続けている。しかも、JUMEAUX OBSCENESというSPANK HAPPYのコピーユニットと姫乃たまは共演したこともあるし、さらにはJUMEAUX OBSCENESの松村謙一郎とのデュエットで、姫乃たまが岩澤瞳役としてSPANK HAPPYの楽曲を歌っていたこともあった。

 ならば、姫乃たまは岩澤瞳にかわって、一刻も早く私を救い出してくれないか。この宿年の闇から。

 「僕とジョルジュ」は、そんな妄執をも聴き手から引き出してしまう。罪なアルバムだ。

■宗像明将
1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。Twitter

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