市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第18回
hideと付き合った濃密な日々 市川哲史が綴った「18年目のラブレター」
するとザ・クラッシュ『動乱』とウルトラヴォックス『システムズ・オブ・ロマンス』の両極端なパンク・ギターにも、レッド・ツェッペリンの楽曲で最初に聴いた「胸いっぱいの愛を」中間部の超カオス状態にも、「なんじゃこりゃあ!?」と、彼はロックにひたすら衝撃を受け続けていくのだ。
「俺が言うのも説得力ないかもしんないけど(爆苦笑)、とにかく俺はルックスで好きになったりしないのね。たとえばJAPANは『音楽専科』に載ってた、マニキュア塗った女の指が革パンの開いたジッパーの中に入ってる、向こうの雑誌広告の写真を見てレコードを注文したけど、やっぱりその1st『果てしなき反抗』の音に『なんじゃこりゃあ!?』と思ったもん。デヴィッド・シルヴィアンのひっかくようなヴォーカルには特に」
「他にも沢山あるよ。俺キーボードって嫌いだったんだけど、ストラングラーズの“デドリンガー”は聴いた瞬間『なんじゃこりゃあ!?』と(嬉笑)。ジャン(・ジャック・バーネル)とヒュー(・コンウェル)のヴォーカルにすべて救われてたけどさ」
純朴な洋楽ロック少年よろしく、聴いたレコードの話を嬉々として語るhideの姿が好きだった。彼が初めて観た洋楽ライヴの話も微笑ましい。
グラハム・ボネットがヴォーカルの時代のレインボーで、『ダウン・トゥ・アース』リリース直後だというから1980年5月か。そしてその初体験で最もぐっときたのは、「ステージのバックに輝く虹のセット」。ほえ?
「緞帳がなかったから、開演前からステージが見えるじゃん。『おい本物の虹だおいおい』『おい“Rainbow”って描いてあるぜおいおい』『始まるとあの虹が七色に光っちゃうんだぜおまえ』とかなんとか言っちゃって(激失笑)」
「そして『1曲目はなんだ?』とかの熱い討論を闘わせるわけだね。で始まった瞬間に、『ライヴアルバム(←『オン・ステージ』)には一部しか入ってなかったぞこの曲!』かなんか言って貴重がっちゃって。でも今冷静に考えたら、開演前に流れた単なるSEの“オーヴァー・ザ・レインボー”――どこでも売っとるわ!(雪崩失笑)」
あらゆる意味で、hideは本当に優秀な洋楽リスナーだとつくづく思う。
そして自分が「なんじゃこりゃあ!?」と思った数々のロック衝撃体験を、現在の少年少女たちにも味合わせたいと心底思っていた。Xにせよソロ活動にせよ、彼の行動原理はすべてここにあったのだ。
「ロックって、『うりゃあ!』とか『ほりゃあ!』とか『ほえ?』とか思わせるものがやっぱり凄い。『私が悪うございました!!』と素直に認められちゃうからねー。そんな僕みたいな人ってきっと多いだろうと思ってる。だって平均的な人だからさ、俺」
「『そういうのはロックじゃないよ』って言われりゃそれまでだけど、自分がそういうものに……助けられてるからね(照笑)。恩恵を受けてるからさ。あの『なんじゃそりゃあ!?』体験がなかったから、もしかしたら人生いまの2%程度が関の山かも。僕はいま愉しいから、そう導いてくれたものに対して足を向けては寝られないじゃない? 同じように……まがりなりにも生み出す立場としては、昔の自分と同じことを想ってる人がもしいるならば――どこにいるかは知らないが(苦笑)――『助けたい』なんておこがましい気持ちじゃないけれど、『どこかにいるはずだ!』と。『そいつよ聴け!』と。『俺だってそうだったんだよ』と(子供笑)」
同じXのYOSHIKIも自己表現に対してトゥーマッチなんだけども、それは自分の美学を一分の隙なく具体化するための過剰さだ。較べてhideのトゥーマッチさは聴き手に重きを置いたというか、リスナーの<ロック少年少女たち>の方しか向いていない過剰さだ。
リスナーとしても表現者としても、hideの「なんじゃそりゃあ!?」に裏表はない。
ザ・マッド・カプセル・マーケッツがいかに面白い新人か、私に一晩中説いた。「コーネリアスの新譜が好き♡」との理由だけでひょいとV系/渋谷系の垣根を超え、小山田圭吾と対談した。縁もゆかりもないアマチュア・ZEPPET STOREに惚れこんだのを機に、損得勘定抜きでレーベル<LEMONed>まで設立して市井の才能に門戸を開放した。
つくづく誠実な男である。
「だから市川さんが言ってくれる『なんじゃそりゃあ!?』の感触? たまに忘れることもあるけど(苦笑)、俺にとっては大切なことだと思うんだー。だから僕の音聴いて『なんじゃこりゃあ!?』と思ってくれたら嬉しいけれど、自分がどう思ったか――自分がそん時に思った気持ちをいまの20何歳になっても持てることが、僕にとっては重要なの。だから中学生のころの『なんじゃこりゃあ!?』をそのままここに持ってはこれないけど、いまでも別の『なんじゃこりゃあ!?』を思えるからね」