6月2日の両国国技館公演を前に
SAKEROCK解散に寄せてーー岡村詩野がバンドのキャリアと音楽性を振り返る
気がついたら彼らはチケットがなかなか手に入らない人気バンドとなり、メンバーの脱退、別ユニットやソロでの展開も増えていったが、それぞれの持ち場で力を発揮するようになっていった。だが、不思議と彼らの匂いは何ら変わることなく……いや、もちろんスキルは間違いなくあがっているし、アレンジのヴァリエイションも徐々に広がっていったが、彼らは活動してきた約15年間、10代の頃の仲間と好きなことを自分たちのペースで平熱のまま続けていったような気がしてならない。一切ブレることなく、惑わされることもなく。そういう意味では徹底して頑固なバンドだったと思う。経験を積み、キャリアを重ねていけばいくほど、手練になっていく。その手練ゆえの魅力ももちろんあるし、それがSAKEROCKというバンドをここまで大きな存在にしたのも事実だろうが、手練が引き起こす気の緩みを恐らく彼らはどこかで嫌っていたのではないか。結局最後の最後まで彼らはフレッシュな彼らのままでいることを選んだということなのではないか。
ラスト・アルバムとなる『SAYONARA』を聴いて感じたのも、その変わらないでい続けることの頑固さだ。ファースト『YUTA』の頃から驚くほど変わらないここでの10曲。それぞれが多忙を極めていることもあったのだろうが、約5年ぶりのアルバムだったにも関わらず、制作に極端に精神的負担をかけなかったことが、どの曲にもいい塩梅で空気穴を多くあけたような風通しの良さとなって現れた。重くなることもなく軽くなることもなく、今日も今日で淡々と音を鳴らして合奏をする。そこで聴いてくれている人達のために。僕らのために。
彼らは熟達したバンドになることを拒んだ。ある一定の未熟さを残すことの潔さを求めた。その決断は、しかしながらプロフェショナルなジャッジだったと思う。『SAYONARA』とは『ARIGARTO』という意味。6月2日、両国国技館で開催されるラスト・ライヴは、きっと彼らが最初にやったライヴと同じ温度に違いない。
■岡村詩野
音楽評論家。『ミュージック・マガジン』『朝日新聞』『VOGUE NIPPON』などで執筆中。東京と京都で『音楽ライター講座』の講師を担当している(東京は『オトトイの学校』にて。京都は手弁当で開催中)ほか、京都精華大学にて非常勤講師もつとめている。