浜田省吾、今なお人気を集める理由とは? 新アルバムが2週連続チャート1位を獲得 

 実力派のベテランミュージシャンが昨今、ヒットチャートを賑わしている。3月31日に発売されたサザンオールスターズの『葡萄』が、オリコンチャートの1位に輝いたほか、1月21日にリリースされた徳永英明の『VOCALIST 6』や、昨年9月10日にリリースされた竹内まりやの『TRAD』も、軒並み好セールスを記録した。

 そんな中、浜田省吾の10年ぶりとなるオリジナルアルバム『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』もまた、発売2週で10.5万枚を売上げ、5月11日付け、5月18日付けのオリコン週間アルバムランキングで2週連続首位を獲得。2週連続となる首位は60代のアーティストとしてシングル・アルバムを通じて史上初の快挙となった。

 浜田省吾もまたベテランミュージシャンとして、いまなお厚い支持を集めていることが改めて浮き彫りとなったが、なぜ彼の音楽は求められ続けるのか。その理由を、キャリアや音楽性、最新作の傾向から読み解いていきたい。

 浜田省吾がミュージシャンとしてデビューしたのは1975年。吉田拓郎らが中心となって結成したフォークサークル「広島フォーク村」を出自に持つバンド・AIDOのドラマーとして世に出た。しかし浜田は自身のドラムの腕前に限界を感じ、1976年にはシンガー・ソングライターに転身しソロデビュー。しばらくは巡業などをこなし、自身の方向性を模索することになる。その後、1979年に発表したシングル『風を感じて』がヒットし、翌1980年にアルバム『Home Bound』で音楽性を本格的なロックに定めていく。1986年にはアルバム『J.Boy』が初のオリコンチャート1位を記録。1992年にはテレビドラマ『愛という名のもとに』で多くの楽曲が使用されたこともあり、これまでの音源も改めて高く評価され、ロック・ミュージシャンとしての地位を確かなものにした。

 ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズをルーツに持ちながらも、日本語による歌唱にこだわり、日本のロックのひとつの形を作ったとも称される浜田省吾。時代性に向き合いながら、情景や感性を丁寧に描写するスタイルは、ロックファンにとどまらない幅広い世代のリスナーを獲得し、尾崎豊やMr.Childrenの桜井和寿、福山雅治など、後進の多くのミュージシャンにも影響を与えてきた。35年ぶりのラジオ・パーソナリティとして、5月1日放送の『浜田省吾と山口智充のオールナイトニッポンGOLD』に出演した際、浜田はデビュー時のことを述懐し、「当時はロックシーン自体がなかったので、10年後のことなどはまったくわからなかった。いつも自分たちがやっていることが、シーンになっていったっていう感覚が強いですね」と語ったように、その活動の軌跡は、現在のシーンの礎を作り上げたといっても過言ではないだろう。

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