市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第14回
ポール旋風後の今、リンゴ・スターを想うーー市川哲史が振り返る25年前の武道館公演
とはいえ、私もポール・マッカートニーが大好きだ。一昨年からの一連の来日騒動も、心底堪能させてもらった。しかしこの間、日本のどのマスコミも1行たりとも触れなかった歴史的事実を忘れてはいけない。
1966年のビートルズ公演以来初めて来日コンサートを行ない、しかも伝説の武道館のステージに立ったのが、よりにもよってリンゴであることを(苦笑)。
そのライヴとは1989年11月6日、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド@日本武道館。まずラインナップがとにかく、豪華だった。
後年リンゴ嫁の妹と結婚して義理の弟となるジョー・ウォルシュ(イーグルス)に、意表を突くザ・バンド組のリック・ダンコ&リヴォン・ヘルム。ビートルズゆかりの名キーボード奏者、ビリー・プレストン。ニューオーリンズのサイケにしてR&Bの鬼才、ドクター・ジョン。リンゴとツインドラムを組んで解散後の様々な名演をサポートした、ジム・ケルトナー。そしてブルース・スプリングスティーンのE・ストリート・バンドの華である、ニルス・ロフグレン&クラレンス・クレモンス。豪華だけど渋いです。
ビートルズ以来24年ぶりのツアーをソロで敢行にするにあたり、とても2時間フルで唄いきれないであろう己れのシンガー能力に自覚的だったリンゴが立案したのが、この企画だった。自分は座長に就き、「イエロー・サブマリン」や「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」といったビートルズ時代の数少ないヴォーカル曲や、「明日への願い」、「想い出のフォトグラフ」、「ユア・シックスティーン」など意外に多い全米ソロヒット曲を唄うが、それは全体の1/4程度。あとはメンバーたちに持ち歌を唄ってもらってしのぐという、<一大オールディーズ・ヒットパレード大会>として成立させてしまったのである。
だからこの夜、生まれて初めて元ビートルズ――リンゴを観に行き、ザ・バンドの「ザ・ウェイト」やドクター・ジョンの「アイコ・アイコ」、イーグルスの「駆け足の人生」など、ロック史上に輝く名曲群をやたら聴けちゃったのであった。頼んでないのに。わははは。
でもこの和気あいあいとした、緩くて愉しげな空気感こそがオール・スター・バンド企画の根幹であると同時に、リンゴのアイデンティティーに他ならない。だから当時は「ロックのくせに懐かしのメロディーかよ」と一部で揶揄されたものの、あれから四半世紀、いまや洋楽ロック市場はあの手この手の旧譜「高額商品化」に翻弄され続ける中年層に支えてもらってるではないか。もはや<ロック=懐メロ>なのだ。
うわ、結果的にリンゴが先見性の持ち主だったとは。
というわけで、この第1期オール・スター・バンドの北米ツアー全31公演が大成功を収めると、この企画はメンバー交替を繰り返しながら継続し、2013年には第13期を数える。
そればかりか95年6月には、第3期バンドで再び武道館ライヴを実現させてるのだから、リンゴ常連じゃん(苦笑)。
ちなみにこの時は、ザ・フー(ジョン・エントウィッスル)とグランド・ファンク・レイルロード(マーク・ファーナー)とバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(ランディ・バックマン)とラスカルズ(フェリックス・キャヴァリエ)とビートルズの共演なのであった。垣根なさすぎ、です。
考えればビートルズ解散後、元ビートルズの四人全員が揃った最初にして唯一の作品も、リンゴ・スター73年発表の3rdアルバム『リンゴ』だ。
別に過大評価する必要はないけれど、ビートルズの節目をポールが紡ぐ際にはリンゴのこともそっと想い出してほしい。
なんか来年もまた来そうな勢いのポールの<豪華なベンチャーズ>化と、第14期も始まるであろうリンゴの<死ぬまで懐メロ一座>のライヴ2種で、我々日本人は今後もビートルズとともに生き続けるのであろうか。
ちょっと恰好悪いけど――ありがたやありがたや。
■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)