『トキノワ』リリース記念インタビュー

パスピエが語るポップミュージックの最適解 「キャッチーと奇をてらう、どちらかに寄りすぎてもダメ」

 

「1回聴いて『これ良いね、満足』という反応だけで終わるものにしたくない」(成田)

――前回のインタビューでも「パスピエの中でいろいろなタームがある」ということを言っていましたね。そのなかでパスピエの音楽の軸は何だと考えていますか?

成田:あまり軸のようなものは持たないようにしていて、常に心変わりするなかで、アルバムを出したときに「今年の軸はこうだったな」と振り返る感じですね。新しいものを作り出していく側としては、やっぱり軸からなるべく離れていきたいというか、今までないことをしたいという欲があります。それがパスピエの軸なのかもしれませんね。ただ、その欲をただアウトプットするだけだと整合性がつかないので、僕のなかでは一年ごとに区切りをつけて総括し、次の作品に向けて考えていくようにしています。

――カップリングの「Love is Gold」はバナナマンさんの単独ライブ『bananaman live Love is Gold』に起用されていましたが、この曲を作るにあたってどういう取り組み方をしたのでしょう。

成田:まずはタイトルとして『Love is Gold』ありきだったんですけど、この言葉自体がパスピエにあまりない単語の使い方だったので、そこをピックアップして、尺も意識しながらよりポップにしつつ、キャッチーに聴かせる部分はキャッチーに聴かせる感じで。短い時間でいかに気にかけてもらえるかという風に作りました。

大胡田:歌詞については、やっぱりバナナマンさんがいて、『Love is Gold』というライブがあって、そこで流れるっていうことがわかっていたので、その“Gold”の位置を「黄金色の果実」に置いているんですけども、お金ですとか、日々のうちにある輝かしいものなどをイメージして書きました。

――今回の2曲はタイアップ的な制約がありながらの楽曲ということなのですが、そこで苦労することはありましたか?

大胡田:私は、今まで書いてきた歌は自分のなかにある世界のことを書いてきたので、自分が作った世界じゃないものについて書くっていうのは、ちょっと立ち向かうみたいな気持ちがありますね。

――立ち向かう、ですか?

大胡田:ええ。そこにある世界を、私たちは曲とか歌詞とかで表現して引き立てる側だと思うんですけど、飲まれないようにするというか。そこでも、自分たちのやりたいことっていうのを確かに出していきたいなと思うので、ちょっと立ち向かっている感があります。

――負けないように、なおかつ、自分たちの色もちゃんと出せるようにというバランス感ですかね。

大胡田:そうですね。バランスという言葉がしっくりくるかも。

成田:曲の部分だと、たくさん音楽は流れるなかで1回聴いて「これ良いね、満足」という反応だけで終わるものにしたくないので、アニメ尺の1分半だったり、CM尺の数十秒があるなかで聴かせて、「フルサイズはどうなるんだろう」と思ってもらえるような音楽的な仕掛けをしていきたい。今回のようにCM尺、アニメOP尺と、色々な形で段階的に見せれることに、僕自身は難しさよりも嬉しさを感じていますね。逆に何回もチャンスがあるという捉え方ができるし、複雑に聴こえるような小技も散りばめられるわけですから。

――その小技はサビの作り方や、転調箇所といった感じですか?

成田:ワンコーラスなりツーコーラスなり聴いたうえでの感覚と、全体で聴いたうえでの世界観にはある程度違いをつけないといけないと思ったので、落ちサビ前に壮大な展開を用意したり、ヘッドフォンで聴いたときに初めてわかるような細かい動きを入れたりしています。2回、3回聴いても、ここはこうなっているんだ、もう1回聴きたいなって思ってもらえるアイディアは絞ったつもりですよ。ギターフレーズが多いっていう話をさっきしていましたけど、たとえばイントロ部分では、ギターの上にキーボードが重なっていたりするんです。

――あまりキャッチーに作りすぎると、サラッと流して聴けてしまうポップスになるし、奇をてらったフレーズばかりだと重くなってしまう。成田さんのなかで、キャッチーであるものと中毒性のあるものに対する線引きはどこにあるんでしょうか。

成田:僕はやっぱりサビの立ち位置だと思うんです。たとえば、料理のコースとか舞台とかでもそうですけど、何か1点を引き立てるためには、何かが後ろに下がる必要があるし、一気に全部が前に出てきてはいけない。いろいろなものが順番に組み合わさって、サビの段階で一番おいしい部分をいかにバンと聴かせるかが大事かなと。いわゆる、何度も聴きたくなる、「スルメ」と言われている音楽というのは、その辺が上手く作られているように思っていて、キャッチーと奇をてらう、どっちかに寄りすぎてもダメだし、フィフティ・フィフティだとするとどっちつかずの作品になりますからね。

――「緊張と緩和」みたいなものを上手く曲の中で演出する感じですね。バンド全体でやるということについてはどう意識します?

成田:僕は作家としてパスピエをやっているわけではなくて、バンドとしてパスピエをやっているので、ポップに意識が行き過ぎるのはどうなのか…という、葛藤はあります。これに関しては、今もまだ答えが見つかっているわけではないんですけど、これからは匙加減をいろいろと変えながら、やっていくんじゃないかなあと思いますね。

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