『長渕剛 HALL TOUR 2015 ‘ROAD TO FUJI’』ライブレポート

長渕剛のライブには何が込められているのか 富士山麓「10万人オールナイト」への前哨戦レポ

 

長渕バンドの遷移を辿る

 デビュー時「ギター1本で全国を周る」スタイルを貫いていたが、アルバム『風は南から』『逆流』(1979年)『乾杯』(1980年)という3枚において、“長渕流フォーク”は完成され、1981年のツアー〈LIVE ’81〉からはバックバンドをつけて全国を周った。アルバム『Bye-Bye』(1981年)『時代は僕らに雨を降らしてる』(1982年)では、レゲエやホーン・セクションをふんだんに入れたデキシー・ミュージックなどに挑戦し、ジャンルの拡大を見せた。当時のバンドマスターを務めたのは、徳武弘文。Dr.Kの名で知られる、日本を代表するカントリーギターの第一人者である。

 長渕のバンドアレンジとしてよく思い浮かぶのは、「ろくなもんじゃねぇ」(1987年)や「とんぼ」(1988年)に見られる、アコースティックギターのストロークとスネアドラムが心地よく鳴り響く、4ビートのフォークロックだろう。スタジオ作品では瀬尾一三、ライブでは笛吹利明という長きに渡るパートナーとともに確立されたものでもある。それが一変したのは、2009年にリリースされたシングル「蝉 semi」だった。詞も節回しも、いかにも長渕らしい楽曲ではあったのだが、従来のイメージとは一味違う、むせび泣くエレギギターが前面に出た、荒々しいサウンドに変貌していた。編曲を手掛けたのは、上田健司。元the PILLOWSのメンバーであり、GOING UNDER GROUNDなどのバンドも手掛けていた上田によるアレンジは、サウンドに大きな変化をもたらした。畳み掛けるギターリフの応酬が印象的な「絆 -KIZUNA-」を掲げてリリースしたアルバム『TRY AGAIN』(2010年)、そして〈ARENA TOUR 2010-2011 “TRY AGAIN”〉において一新したバンドメンバーによって、長渕はまた新たな側面を見せることになった。

 バンドサウンドの鍵となるギタリストは、矢島賢、高村周作、もんた&ブラザースの角田順、といった名うてのプレイヤーたちが務めてきたが、ここで生粋のブルースマン、ichiroと、“超”がつくほど個性的ギタリストで知られる名越由貴夫が参加したことにより、話題性もさることながら、長渕バンドサウンドに新たな息吹が生まれたといえるだろう。長渕がバンドメンバーに求めるのは技術ではなく、感性だという。譜面ではなく、情景を表すような言葉で伝えるとも。この新たなメンバーより得た刺激は、アメリカの一流ミュージシャンたちとともに“日本の歌”を歌うという試みに繋がったのだろう。

 

新曲「富士の国」について

 真っ赤なライティングに合わせ、力強く歌われるのは、”みんなと一緒に富士に昇るため”に書かれた歌。アンコールにて披露された「富士の国」である。なんとしてもこのツアーに間に合わせるため、アレンジ、リハーサルを重ねに重ねて出来上がった作品だ。長渕は歌を書くとき、ノート1冊分におよぶ言葉を書き殴り、そこから厳選していくという。もがきながら生み出された様が頭に浮かんでくるような、痛切なメッセージが込められた歌だ。

〈霊峰富士の国の頂(てっぺん)に 俺たちは生まれてきたんだ〉

 日本人なら誰もが思い描くことの出来る日本一の山、富士。普段はその存在をあまり意識しないが、その当たり前の姿を目の前にしたとき、ふと美しさに胸を打たれるときがある。その感覚は、自分が日本人であることを改めて自覚する気持ちに似ていて、生まれ持った誇りでもあるだろう。

「愛溢れる10万人の声、希望の刃をぶつけてみようよ、そしたら富士は何と応えてくれるだろうか、それぞれの心の中に何が響くだろうか」

 以前、長渕が語っていた言葉が頭をよぎる、2015年8月22日の伝説はもう始まっているのである。

(文=冬将軍/写真=西岡浩紀、辻 徹也)

■長渕剛 10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓
http://nagabuchi2015.com/

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