新刊『僕たちとアイドルの時代』インタビュー

さやわかが語る、2015年の音楽文化と全体性「強度を一番先に取り戻したのはポピュラー音楽」

「音楽は一番先に危機的な状況を迎えたが、一番先に独自の方法で回復していった」

——最終章では、そうしてシーンが盛り上がってくると、楽曲自体「も」良くなってくる、と指摘してますね。

さやわか:そのことは『AKB商法とは何だったのか』を書いた時には、まだ十分に可視化されていなかったから書くことはできなかったのですが、かなり重要なポイントなので慌てて書き足しました。つまり「アイドルは作品重視ではない」というのが前の本の結論だったけれど、「作品がなんでもいいのなら、逆に良質な音楽を作ったって構わない」という風潮が強くなってきた。「何でもいい」ところに「一番良い」ものを置くことができるようになったんですね。結局、それは音楽チャートみたいなインフラをうまく使えば、多くの人にきちんと作品を届けられるって言ったことと同時並行の動きとしてある。つまり、それを利用してお金を稼いでいれば、それだけ予算が使えるようになるし、そのおかげで良い作品を作ることもできる。だから「アイドルソングだからダメ」だみたいな言い方が通用しなくなった。むしろアイドル自身も楽曲のクオリティが高いくらいでは差別化できなくなってきたほどなんです。もうひとつ言えるのは、そういう風にアイドル界隈が良い曲を望んだことによって、楽曲提供側も「じゃあアイドルのための曲を作ろうか」と積極的になったんです。アイドルカルチャーに対する理解が深まって、それに当て込んだ曲を作るようにもなってきました。その結果、音楽を好きであることと、アイドルを好きだということが、矛盾しなくなってきている。そういう音楽ファンが増えている。僕はもともと音楽が好きなので(笑)、これは喜ばしいことだと思います。

——最後に今後の予測として、日本の音楽文化はどのように推移していくと考えていますか。

さやわか:この本の最初の方でも触れていますが、商品としての音楽の動向を追っていくと、00年代の中頃は音楽産業が単純に停滞していくのではないかと思われていたんですね。つまりゼロ年代を通して、CDがどんどん売れなくなっていった。それはインターネットのせいだ、違法コピーが蔓延しているせいだとか言われていたんだけど、同時並行した流れとして、フェスやライブが伸びてもいた。それはやがて注目されるようになって、今はライブ指向なんだと言われたりもしてますけど、じゃあその本質は何なんだと考えるべきですよね。たとえばフェスがどう流行っているかというと、やっぱり音楽を通じて人と楽しく過ごすということが大事にされているんです。前に朝の情報番組『ZIP!』でフジロックに行ってフェス飯を女の子3人で食べるという企画をやっていて、すごく驚いたんですよ。それってもう、音楽とは関係ないじゃないですか。じゃあ、そういう現象は音楽の敗北を意味するのかというと、そうではない。なぜなら、そうした空間は音楽がないと成立しないからです。音楽っていうのはすごく面白いカルチャーで、空間に常に漂うことができて、その場所にいる全員を束ねることが可能です。視覚のメディアだと全員を同じ方向に向かせないといけないけれど、音楽というのは勝手に耳に入ってくるものなので、どういう状態にあっても、その場にいる全員に、それぞれの形で与えることができる。その良さが今、伸びてきていると思うんですよ。そう考えると、たしかに音楽が売れなくなったっていう言い方もできるんですが、それでも映画にもゲームにも音楽は使われているし、ゲームの中で使った音楽をCDにすると売れたりもする。そんな感じで他のジャンルに、音楽は常につきまとっていて、むしろいろんなジャンルやいろんな人を結びつけるものになっている。そういう形で、音楽というのはすごく価値を持っているということに、今みんながようやく気付いてきているところだと思うんです。今は東京オリンピックの話で、AKB48が出てくるんじゃないかとか、EXILEが出てくるんじゃないかという話があります。その是非について、楽しみだとか許せないだとかいろんなことが言われていますが、少なくともそういう時に、彼らの名前が出てくること自体が、音楽にとってはすごいことなんだと僕は思います。

ーー最初のお話に沿っていえば、ポップミュージックがある種の全体性を回復しつつあり、それゆえに社会的な文脈のなかで取り上げられている、との見方もできます。

さやわか:ポップミュージックは全体性をカバーできなかったはずなのに、いつの間にかカルチャーの中心にあって、東京オリンピックで何かをやるとなったらAKB48やEXILEのような名前を出さざるを得ない。ポピュラー音楽が自分たちのハブとして機能していることを認めざるを得なくなっている。そこがやっぱり音楽の良いところだと思う。AKB48やEXILEが何を成したかというと、CDをバンバン売ってあちこちで人の目に触れさせたこと。それをウンザリするような話だと感じる人もいると思うんですが、言い方を変えると、彼らはそうして音楽を人に届けていったんです。今の時代——映画も文学も漫画も、細分化していって人々を繋げられなくなってきた時代——にあって、文化としての強度を一番先に取り戻したのは、ほかでもなくポピュラー音楽だったと思います。音楽はインターネット以降、一番先に危機的な状況を迎えましたが、一番先に独自の方法で回復していった。そう考えると、AKB商法と揶揄されたアイドルたちの方法論には、ほかのカルチャーにとっても学ぶべきものがあるといえるし、このやり方は是非を問われつつ、他のジャンルにもさらに波及していくのではないでしょうか。

(取材=神谷弘一/構成=松田広宣)

■さやわか
ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』『一〇年代文化論』『僕たちとアイドルの時代』がある。Twitter

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