トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(前編)「お互い違う場所で切磋琢磨してきた」

150101_tg_2.jpg

 

「「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした」(田中)

――デビュー当時はバンドの間にもライバル意識のようなものもありました?

田中:それはあったと思いますよ。みんなギラギラしてたと思う。やっぱりちょっとでも抜きん出てやろうっていうためのイベントなわけでしょ? 今だからこそ思いますけれど。

和田:ただ、俺は当時からこの人とは喋りたいなと思ってたんだよね。「覚醒」のブルージーな歌い回しを聴いて、「この人、やっぱり違うな」って思って。わりと早い段階で喋りかけた記憶がある。

田中:喋ったよねえ? でも、ほんと人付き合いが下手だった(笑)。

和田:俺らもわりと苦手だったよ。今でこそいろいろ人とコラボレーションとかしてるけど、当時はダメだった。

――GRAPEVINEもTRICERATOPSも、デビューからどんどん人気や知名度を増していったわけですが。ブレイクした、売れたという認識はどれくらいありました?

和田:売れてたかなあ? 俺たち(笑)。

田中:いやあ、正直あれでブレイクなのかって今でも思いますよ。時代がよかったんですよ。CDバブルの時代だった。日本でCDが一番売れてたのが、僕らがデビューした97年から99年くらいの頃ですから。僕らがブレイクしたと思われているのもその頃だと思います。それに、僕らの歴史の中でもその時期がいちばん枚数売れてるんです。でも、それはCDバブルの追い風があったからだというのは否めないですね。ブレイクしたという自覚はさほどないです。

和田:僕もないです。全然ないですね。

――当時はただ慌ただしく日々が過ぎていくような時期だった。

田中:そうですね。右も左も分からないままに過ぎていった。

和田:取材ばっかりしてたね。

田中:あの頃は多かったね。雑誌も多かった。地方キャンペーンもしっかりやってたし。

――前に和田さんからタワレコのポップを破壊したことがあるっていう話を聞いたことがありますけれど。

和田:いやあ、あの頃の自分はバカでしたからね(笑)。

田中:なんでポップを破壊したの?

和田:ちょうどセカンドアルバムが出たばっかりの時で、広島のタワーレコードに行ったんです。そこで店にポップを作って大きく展開してくれてたんですよ。でも、書いてあった文章が全然こっちの意図と違ってて。書いてる本人はそんなつもりはなかったんだろうけど、少しバカにしてるような感じに思ってしまって。特にあの頃って、なにかと「カワイイ」とか「ポップでキュート」とか言われてたから、それにすごく反発していて。やっぱりロックバンドたるもの、カワイイとは何事だっていう意識があったんでしょうね。

田中:それで?

和田:「すいません、これ書いたの誰ですか?」って店員さんに聞いたら、たまたま書いたのがその人で。その人の態度がちょっとエラそうだったの。だから「おい! 何なんだよ、この文章」みたいな感じで言って。そしたら向こうも「いや、こっちは思ったこと書いただけですけど?」みたいに言うからさ。それで次の瞬間、こっちもカーっとなって、バーン!って。よくやったよ、あんなこと。

田中:ははは! 熱いね。

――田中さんは、自分の音楽と周りから語られるイメージとの齟齬は感じてましたか?

田中:いや、それはもちろんあるもんだと思ってましたね、僕は。褒めてくれる人もたくさんいらっしゃるでしょうけれど、それだってズレてるのも多かっただろうし。自分らの音楽について言及されてるものは、あんまり見たくなかった。

――当時のGRAPEVINEは「ポスト・ミスチル」って言われていましたよね。

田中:ああ、ありました。でも、それは逆に武器だって思った覚えがあるな。売れるもんなら売れるに越したことはないだろうっていうことは思ってたし。「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした。そんなにイラっともこなかったな。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる