FORWARD・ISHIYAが横浜のインディーレーベルを訪ねる
横浜ハードコア・PILE DRIVERが語るパンク観、そして所属レーベルmicroActionが目指す理想とは?
1987年から横浜・東京を中心に活動を開始し、ハードコア・シーンにおいて唯一無二の存在感を放ってきたバンド・PILE DRIVERが、10月8日にmicroActionから5曲入りCD『EXIT OF THE CITY』を発売した。
一時期の活動停止を経て、復活してから3作目となる本作までのPILE DRIVERの遍歴と、所属レーベルmicroActionの多岐に渡る活動や歴史などを、ボーカルのICHIRO、ドラムのKINTAとmicroAction主宰のNEGIに聞いた。
PILE DRIVERの遍歴
ーー結成したのは、2人が何歳くらいの頃?
ICHIRO:中学生の時から。学校は別だったけど、俺とKINTAとSENと、あとは地元の奴がベースをやっていました。
KINTA:15歳の時かな?
ICHIRO:その頃は日本のパンクのカバーとかをやっていて。TAKUMA(ex.PILEDRIVER)が入ったのとほとんど同時に、PILE DRIVERって名前も決まりました。
ーー1995年からは一度、活動停止しているけれど、それまでの作品は2003年にリリースした『KNOCK DOWN THE SYSTEM』でまとめて出したんだよね?
KINTA:そうです。小林さん(Systematic Death/FADE-IN RECORDS)が出してくれて。
ーー活動停止している間は何をやっていたの?
KINTA:まぁ各自で自分の事というか……。
ICHIRO:俺はアルゼンチンに行っていた。
ーーそうだよな。マラドーナと朝飯食った事あるって言ってたもんね(笑)。元々アルゼンチンに住んでいたの?
ICHIRO:マラドーナと朝飯食ったのは、幼少の頃に日本で(笑)。7歳の時に日本に来たんだけど。
ーー7歳までアルゼンチンに住んでいたの?
ICHIRO:最初は日本に住んでいたんだけど、6歳ぐらいの時にアルゼンチンの小学校に一年ぐらい通って、戻って来たらKINTAとかの地元の街だった。
ーーそれでしばらく活動停止したあとに、復活した理由は。
KINTA:理由はあんまり無いんだけど、小林さんが今までの音源をまとめた『KNOCK DOWN THE SYSTEM』を出したいっていうので、その話からライブをやるようになっていったという自然な感じで。まぁ、みんなのストレスも溜まっていたのかもしれない(笑)。
ーー復活後にPILE DRIVERにとって先輩みたいな感じのORIが、ギターで入る事になったのはなんで? MAD CONFLUXが終わって、DES-POZももうやってなかった時かな。
ICHIRO:「EDGE OF THE CENTURY」って企画のライブが決まっていたんだけど、SENの身体の調子が悪くて。その時にORIちゃんに会う機会があって、お願いしたら「いいよ」って言ってくれました。一応、最初はヘルプという話だったんだけど、そのまま定着した感じです。
ーーORIはPILE DRIVERに合っていると思う。活動停止する前のSENのハチャメチャ感とかもすごく良かったけど、それにORIが入った事でしっかりしたというか、大人になったというか(笑)。
KINTA:復活してからは、テンションだけでやっていくより、もう少し音楽としてみんなに届けようという感覚が強くなったように思う。
ーーベースにKENSAKUが入ったのも、ORIの時と同じような感じで?
KINTA:そうですね。基本的に持っているグルーヴはいいし、人間的にもいい奴だし、自然にそのまま。
ーー前作の『TURN ANGER INTO LIGHT』では、TAKUMAがベースの曲とKENSAKUがベースの曲が両方あるじゃない。別の作品にしようとは思わなかったの?
KINTA:2人が入って良かったなって思う(笑)。
ーーそういうところも潔いというか、自然体でいい感じだね。