新刊『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』対談(前編)
宮台真司+小林武史が語る、音楽と変性意識「60年代の音楽はエモーションを丸ごと録ろうとした」
小林「ローがいっぱい出ている音は、カルチャーとしての匂いみたいなものが無くなる」
小林:まず60年代以降から話すと、あの時代の音楽っていうのは変性意識状態が溢れているんですね。クリエイティビティの高い作品が生まれまくった時代で、どうして90年代で再びそういう流れが来たかというと、それを呼び戻そうっていう動きがあったんです。たとえばレニー・クラヴィッツっていうアーティストが、ジョン・レノンとかに影響を受けて、アナログの響きを取り戻したりしました。僕も岩井くんの映画『スワロウテイル』で、YEN TOWN BANDでアナログの音にこだわっていて。で、アナログサウンドっていうのが変性意識状態にどういう風に繋がっているかというと、当時60年代の音って言うのは本当の意味でのエモーションを録るために、録音のプロセスみたいなものがシンプルだったんですね。
たとえばレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムのキックの音の素晴らしさなんかは、ドラムの上にリボンマイクを一本置いてあるだけで録られている。要はエモーショナルなグルーヴを丸ごと録ろういうやり方だった。しかし80年代に入ると、音をセパレートして、左にこれがあるから右はこういう音がして、という風にシンメトリーを意識して、バラバラな要素で組み立てていくようになるんです。わかりやすく言うと、これは好き嫌いがありますけど、ジョルジオ・モロダーの『フラッシュダンス』みたいな音が典型ですね。でも、そういうことじゃなくて、もっとエモーショナルな方向で、その空間で鳴っているグルーヴを丸ごと録るということが再び好まれるようになる。たとえ空間が空いていようが、それを論理的に埋めていくのではなくて、それぞれの音が「そういう風にいたいのだ」っていう関係性で反応しあって、成り立っているということを理解するようになった。良いロックの鳴り方ってそういうものだと思うし、それはプレイしながらどんどん出来上がっていく感じで、やはり変性意識状態でした。
ただ、またその後に、もっとハイがキーンと伸びていたほうがいいとか、低音がボンボン出ていたほうがいいってなってくる。音楽の専門的な部分でもうちょっと言うと、最近の曲はローがいっぱい出てるでしょ? ローがいっぱい出ている音って、音のファッション性というか、カルチャーとしての匂いみたいなものが無くなるんですよね。ためしに家に帰ってビートルズとかレッド・ツェッペリンを聴いてみたらわかると思うんですけど、低音は本当に小さくて、その代わりにジョン・ボーナムのキックの勢いとかスピード感などが、表情としてすごく感じられるようになっている。
宮台:僕はとりわけ中学高校時代にキング・クリムゾンが好きだったのもあって、96年にリーダーのロバート・フリップをインタビューをしましたが、彼が面白いことを言っています。
68~69年は年間200回ライブをやって大半で奇跡が起こったのに、70年代に入ると、彼の言葉では「恩寵の扉が閉じて」奇跡が起こらなくなり、以後は扉が空くのを待ちつつひたすらディシプリン(訓練)の毎日だと。
ここでの奇跡も変性意識状態のことです。80年代に再結成したクリムゾンのアルバムタイトルが『ディシプリン』です。このタイトルは、変性意識から離れた状態で、変性意識状態に向け待機することを含意します。
60年代と言えば、アメリカの心理学者ティモシー・リアリーが、ドラッグを使わずにコンピューターの作り出す映像や音を使ってLSD体験と機能的に等価のものが作れると喧伝、多くの表現者に影響を与えます。
その意味は「我々の感覚はもっと拡張できるのに、我々の感覚が〈社会〉の枠内に閉じ込められ、触知できるはずの光や音を感じられないから、感覚を〈社会〉の外に拡張しよう」というものです。
流れのルーツはドラッグカルチャーで、背景にビートルズ以降のカウンターカルチャーがあります。カウンターカルチャーは単に反対や対抗じゃなく、〈社会〉に閉じ込めらた意識を解放するという目的を含みます。
音楽でいえば、アーティストだけじゃなくリスナーも意識を拡張しようとしました。拡張した意識もまた変性意識状態ですが、人々がそれを「意識の拡張」と言挙げした程なので、奇跡の祝祭空間が作りやすかったんです。(後編【宮台真司+小林武史が語る、2010年代の「音楽」と「社会」の行方】に続く)
(取材・文=編集部)