ダイノジ大谷がロックを語り続ける理由「こっちだっていい曲だ、バカヤローって足掻きたい」

――当時の自分を含めた同世代を振り返ると、ロックにしても文学にしても映画にしても、命がけといった心持ちでカルチャーに向き合っていたような気がします。90年代前半という時代性もあったのでしょうか。

大谷:あの時代の人たちは、世界を変えてやろうって気概で、楽器を持ったり、映画を撮ったり、文章を書いたりしていました。ただ、95年にオウムの事件があってからは、明らかに風潮が変わったと思います。というのも、オウムの人たちの精神性って、サブカルチャーにハマる人たちと、実はそれほど差がなかったのではないかと。彼らは世界を変える方法として、ロッキング・オンや映画ではなく、麻原を信じたことで、結果的に人殺しをしてしまった。あれ以来、カルチャーに向き合っていた人たちにとっても、今まで信じていた言葉が一気に重くなってしまいました。スチャダラさんが、 ものすごくシリアスなアルバム出したりとか、そういう風に変わっていった。ただそんな中、小沢健二だけが天使の羽つけて、すごいアホなふりをしてテレビに出て、自分を王子様とか言ったりしていました。あれは、カルチャーに煌びやかな世界を取り戻そうっていう意味合いがあって、「life is coming back」ってことなんだろうと思います。それってすごくコメディ的ですが、熱いですよね。一見バカみたいに見えるけれど、実は鋭い批評性がある。そういう人だけが時代を変えられるような気がします。

――大谷さん自身、90年代後半から芸人として活動されていく中で、音楽との距離感はどう変わりましたか。

大谷:95年以降は1回「自分がやってきたのはオウムと同じことだった」という風になっちゃったんです。そんな中、北海道を拠点に活動していたブラッドサースティ・ブッチャーズやイースタン・ユースが、東京のライブハウスで演っているのを観る機会があって。当時はバンドブームも終わったところだったし、ほとんど人がいなかったんですよ。でも、僕にはものすごい衝撃だったんです。90年代の後半くらいから、ギターウルフとかハイ・スタンダード、ブラフマンとかが出てきました。ストリートで洋楽のコンプレックスとは別のところで生まれているユースカルチャーが、ライブハウスで一気に生まれてきたんですね。そのうちフジロックが始まりました。

――そこで大きな変化を感じたと。

大谷:舞台が変わった感じですね。フジロックはある種の夢みたいなものが叶っちゃったという感覚もあった。やはり1回目、2回目のフジロックの衝撃はすごかったですね。

後編:ダイノジ大谷が提言する、これからの音楽サバイバル術に続く

(取材=神谷弘一/編集協力=梶原綾乃)

■書籍情報
『ダイノジ大谷ノブ彦の 俺のROCK LIFE!』
価格:1,400円(税込み定価1,470円)
発売日:12月20日

 人気ラジオ番組『オールナイトニッポン』(水曜・第一部)や『Good Jobニッポン』(月~木)のパーソナリティを務める大谷ノブ彦(漫才コンビ、ダイノジの一人)の、クロスビート誌(現在は休刊)の連載「俺のROCK LIFE!」をまとめた一冊。単行本化に当たり、大谷がロックと向き合う姿勢に迫ったインタビューや、本人による「人生の10枚」の選盤/解説なども収録。

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