さようなら大瀧詠一さん 日本のポップ史を変えた偉大な功績を振り返る

 また、ミュージシャンとしてのスタンスにも、独特のものがあったと宇野氏。

「大瀧さんはほとんど公の場に出てこないことでも知られていました。近年では、年に一度、新春のラジオ番組『山下達郎のサンデーソングブック』の新春放談という企画に出演するくらいで、それ以外はメディアに露出することがほとんどありませんでした。音楽の匿名性を何よりも大事にしていたにもかかわらず、その音楽自体は誰よりも記名性が高かったというのは、大瀧詠一という不世出のミュージシャンの大いなる矛盾であり、最もユニークなところだと思います。ただ、大瀧さんは隠遁してはいたものの、決して世捨て人のような生活を送っていたわけではなかったようです。真偽はわかりませんが、数年前に聞いた自分の好きなエピソードは、彼は一般紙からスポーツ紙までほぼすべての新聞をとっていて、今でも毎朝自宅で起きると、まずそのすべてに目を通してから一日の生活を始めるという話です。そのエピソードにも象徴されているように、あらゆる事象に対する探究心が異常に強く、それが大衆音楽の探求というかたちで最大限に発揮されていたのが、彼の音楽だったのではないかと思います。異常な量のインプットと、異常に研ぎ澄まされた数少ないアウトプット。1人のファンとして、もうちょっと多くの作品を残していてくれていたらと思わないわけではないですが、その才能の在り方と作品の少なさは分ちがたく結びついていたのだと思います。発表から何十年も経った今でも、決して歴史に回収されず、聴く度に新たな発見があるのが大瀧さんの音楽の特別なところだと思います」

 日本におけるポップスの在り方を決定づけたミュージシャンとして、今なお音楽シーンに影響を与え続ける大滝詠一。彼が残したきら星のような名曲たちは、これからも色褪せることなく、人々に愛聴され続けるだろう。
(文=編集部)

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