北川昌弘が「アイドル40年史」を語る(中編)
松田聖子、小泉今日子、中森明菜...『あまちゃん』でも注目、80年代アイドルはなぜ輝いていた?
――しかし北川さんは著書で、冬の時代ならではのアイドルについても言及していますね。
北川:僕がやっていた『NIPPONアイドル探偵団』は、とにかくテレビに出演している女性で魅力的であれば、みんなアイドルですよ、というスタンスでした。歌謡曲アイドルが終わっても、アイドル的な存在は終わっていません、と。皆さんがアイドル像を見失いかけている時に、こういう女性がアイドルですよ、とわかりやすく提示してきたんですね。若手女優やバラドルはもちろん、女子アナとかお天気おねえさんとか、AV女優とかスポーツ選手とかも、テレビに出ていればアイドルになるんです。
また、その時は中高生が「アイドルオタクだと思われたくない」という意識を持っていましたが、逆に言えば、魅力的な女性が「私はアイドルではない」というスタンスを示していれば、比較的受け入れやすかったと思います。たとえば、ZARDの坂井泉水さんはあえてテレビには出演しない戦略を採っていて、それは大正解でした。女子アナの永井美奈子さんも、あくまで女子アナであるというスタンスを崩していませんでしたから、抵抗なく好きだと言えました。子役で大ブレイクした安達祐実も同様。つまり、冬の時代でもアイドル的な存在はずっと居続けたんですよね。
――では、冬の時代が終了したきっかけとは。
北川:94年、当時16歳のグラビアアイドル雛形あきこの登場が大きかったと思います。あの瞬間、中高生がみんな彼女に振り返りましたから。飯島直子さんがジョージアのCMに出て、癒し系として社会人の心を掴んだのも94年。そして96年には広末涼子さんがポケベルのCMで中高生の心を掴み、さらには97年には優香が出てきて、中高生から社会人まで心を掴み、グラドルと癒し系の二階級制覇みたいな離れ業をやってのけました。
一方、88年にアイドル歌謡は滅びましたが、アイドルたちは"アーティスト"と冠することで、90年代の音楽業界を生き抜いていきます。小室哲哉さんがプロデュースした篠原涼子さんや華原朋美さんあたりはその典型でしょう。重要なのは、小室さんはテレビで音楽を"聴かせる"のではなく"見せる"ことに力を入れていたこと。従来のアイドル歌謡曲とは決定的に違います。そしてそんな中から、モーニング娘。が生まれてくるんです。
(取材・文=編集部)
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