『闇金ウシジマくん』の世界はもはや日常風景に? “貧困化する日本”のリアリティ

 真鍋昌平の漫画『闇金ウシジマくん』(小学館)をはじめて読んだ時の不安は今でも覚えている。闇金に手を出したことで破滅していく債務者たちを徹底的に突き放した描写で見せていくえげつない物語に「いつ自分もそうなるのかわからない」と感じて身震いした。面白いと口にすることすらためらう、不快だが目を離すことができない問題作だった。そんな『闇金ウシジマくん』をドラマ化すると聞いた時には更に驚いたが、まさかこうしてSeason3まで作られるようになるとは当時は考えもしなかった。

 本作は、闇金業者の丑嶋社長(山田孝之)を中心としたカウカウファイナンスの面々と、闇金にお金を借りにくる人々の姿を描いた物語だ。風俗嬢、地方のヤンキー、読者モデル、ホスト、フリーターなどお金に困っている人間が多数登場して、じわじわと生活が破たんしていく様が描かれるクズの見本市のような作品だ。

 企画・プロデュースはテレビドラマの『カバチタレ!』や『不機嫌なジーン』(ともにフジテレビ系)などで知られている山口雅俊。元々、フジテレビのプロデューサーで、現在は「ヒント」という会社を設立し企画・プロデュースを担当している。『ナニワ金融道』(フジテレビ系)や『カバチタレ!』、映画版『カイジ』シリーズなど、金にまつわる話を多数制作しており『闇金ウシジマくん』はその集大成とも言えるシリーズだ。本作で山口は脚本・演出・監督も担当しており、日本のプロデューサーでは極めて異例のマルチプレイヤーだと言える。

 深夜ドラマとはいえ、こんなに危ない企画をテレビで放送し、Season3まで続けてきたことは偉業として、素直に敬意を払いたくなる。しかし、作中の演出に関しては当初は不満を感じていた。

 漫画では「~くん」編という形で一人の債務者をじっくりと描いている。対してドラマ版では、複数のエピソードを同時に進行させる多視点群像劇となっており、今回は「洗脳くん」編、「テレクラくん」編、「生活保護くん」編といったエピソードが同時進行している。これは海外ドラマではよくある手法で、物語の緊張感を保つ意味でも効果的だったのだが、一方で原作漫画にあった人間描写の濃さを薄めているようにも感じた。

 大袈裟な音楽や「闇金は犯罪です。」といったテロップを多用するやり方にしても同様で、山田孝之を筆頭に、カウカウファイナンスサイドの演技はシリアスで重厚なのだが、債務者を演じる役者の演技はコミカルなものとなっていたのも、どこか逃げ腰の演出に思えた。

 これは極めてテレビ的な見せ方で、山口が関わったドラマ『カバチタレ!』で、すでに用いられていたものだ。扱いによっては放送中止になってもおかしくない過激な原作漫画をテレビドラマ化するために選択された方法論だというのは頭では納得できたし、ドラマとしては見やすい仕上がりとなっていたが、原作の重苦しさと不安感を求めていた自分には「何か違う」と感じて、ハマることはできなかった。

 だが、ここまでシリーズが続いていることを考えると、この演出手法の選択は結果的に正しかったと言えよう。それと同時にシリーズが進むごとに、演出の違和感はだんだん解消されていった。これは、こちら側がある程度慣れたということもあるが、作り手自身がコミカルなテイストを少しずつ薄めていっているという面もあるだろう。Season3では、バラエティ的な見せ方は控えめで、その分だけ原作漫画にあった恐さが引き立っている。特に、光宗薫が演じる女性編集者のまゆみが神堂(中村倫也)という謎の男に騙されていく「洗脳くん」編はじわじわと恐怖感が増してきており、シリーズ屈指の仕上がりとなっている。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる