緒方恵美が語る、25年の表現活動を経て掴んだものと“エール・ロック”を掲げた理由

緒方恵美が“エール・ロック”を掲げた理由

 声優のみならずロックシンガーとしても活躍する緒方恵美が、声優デビュー25周年企画の“最終章”として、セルフカバーアルバム『EARLY OGATA BEST』をリリースする。

 同作は、2012年に彼女がリリースしたアルバム『rebuild』以前、すなわち1994年のデビューミニアルバム『HALF MOON』から、2008年の通算9枚目となるアルバム『666-rock.Lock.ROCK!-』までを“Early Ogata”と名付け、その中からセレクトした楽曲のセルフカバー集。近年、彼女の音楽活動をサポートしているミュージシャンが一堂に会し、最新のアレンジを施している。これを聴けば、緒方が今どのようなモードで曲作りをしているのかが如実に分かるはずだ。

 その「謹厳実直」な性格ゆえにファンからは「アニキ」と慕われ、SNSでの発言も常に注目されてきた緒方。“エール・ロック”を掲げて活動する彼女が、本当に伝えたいメッセージとは一体どのようなものだろうか。(黒田隆憲)

「ここらで昔の自分に、ケジメをつけるみたいな感じ」 

──今作『EARLY OGATA BEST』に収録されているカバー曲は、2012年発売のアルバム『rebuild』以前の楽曲です。そこで、まずは緒方さんが“第2のデビューアルバム”と位置づける『rebuild』に至るまでの経緯をお話いただけますでしょうか。

緒方:……ちょっと長くなってもいいですか?(笑)。

──もちろんです!

緒方:元々私は、音楽一家で育っていて(父親はトロンボーン奏者、宝塚の指揮者、越路吹雪がいた頃のミュージカル音楽監督を務め、母親は声楽を教えていた)、まあそういう子供にありがちな、「3歳でバイエルを習い……」という感じだったんです(笑)。で、例によって例のごとく、だんだんクラシックが退屈になり、中学生になると洋楽一辺倒になるんですね。

──緒方さんの中学時代というと、ちょうどMTV全盛期で、日本でも『ベストヒットUSA』や『ザ・ポッパーズMTV』などが放映されて、洋楽ブームの頃でした。

緒方:もう、なんでも聴いていましたね。引かれるくらい雑食なんです(笑)。Led ZeppelinもDeep Purpleも好きだしビリー・ジョエルもマイケル・ジャクソンも好き。Air Supplyも嫌いではない。しかも、Sex PistolsもVan Halenも聴くという……(笑)。お金がなかったから、友達とレコード交換し合ったりして。楽しかったですね。

──日本の音楽はほとんど聴かなかった?

緒方:THE BLUE HEARTSはすごく好きでした。彼らの楽曲はもちろん、発信しているメッセージに衝撃を受けた。〈ハンマーが振り下ろされる 僕達の頭の上に〉とか(「ハンマー」)、「なんてヤバイ曲なんだ!?」って思いましたから(笑)。でも、そういう激しさの中に、ものすごく優しさがあって。

──緒方さん自身はバンドを組んでいましたか?

緒方:高校生の頃に少しだけ。あと、声優になる前はミュージカル女優を目指していたんですけど、その頃は小さなバーのような場所で、弾き語りのバイトをしたり、拙いオリジナル曲を作ったりもしていて。ただ、それで食べていくつもりは全くなくて、単なる趣味として続けていただけだったんです。洋楽ばかり聞いていたので、そのマネごとみたいな。

──なるほど。

緒方:それから紆余曲折を経て自分が声優になって、思わぬことに「CDデビューする」という話になったんですけど、今話したように趣味で普通に音楽をやっていたからこそ、そのときは「これがミュージシャンになるチャンス!」とは思わなかったんです。もっといえば、「私の作る曲が認められてデビューできるわけでも、私の歌が評価されてデビューできるわけでもないから」という思いが強かった。「あくまでもアニメの声優として人気が出たから、キャラクターの人気があったからデビューさせてもらったんだ」と考えていたんですね。

──そうだったんですね。

緒方:今はもう、声優でも歌手デビューしている人は多いですが、当時はまだその先駆け的な時代だったので。となると、自分の趣味である洋楽に寄せたサウンドではなく、声優としての自分に求められている楽曲を、求められているだろう声で歌おう、それがベストなんだと当時の自分は思っていたんです。アルバム1枚につき、歌詞は2、3曲ほど書いていましたけど、曲は多くて1曲くらいしか書いていなかったですしね。まあ、自分でいうと口が腐りそうですが、その頃は「アイドル路線」というか(笑)。

 でも、それも90年代終わりくらいには飽きてきて。結局、声優としても演じていたし、歌でも演じていたわけで、ちょっと疲れてしまったんですよね。「自分って一体なんなんだろう」と。そんなタイミングの2000年に移籍した〈ランティス〉の社長が、LAZYのキーボードを務めていたPockyこと井上俊次さんだった。その出会いがとても大きくて。

──その井上社長に曲作りを勧められたわけですね。

緒方:はい。ただ、最初のうちは、急な方向転換が難しく、迷いながら、ポツポツと。その間も社長には、「今のイニシャルだと、うちでは東京・大阪しかいかせてあげられない。でも音楽もライブも好きだよね? 君から声をかけても、今の(当時の)サポートメンバーはきっと行ってくれる。(車の)バンを貸すからそれで全国回っておいで」と。驚いたけど、気持ちがとても嬉しくて。30代半ばくらいで、初めてバンド小僧みたいな感じでツアーに出るようになったんです。結局そのバンドは解散してしまうんですが、そういう修行のような時期があったからこそ、「やっぱり私は、こういうことがやりたかったんだ」と。

──つまり自分で曲を書いて、バンドメンバーと一緒にライブをやるということですよね。

緒方:ええ。そのバンドの次に組んだのが今のサポートメンバー。彼らと会って、カバーライブとか、遊びのようなライブイベントを何度かやっているうちに、自分のハラが決まって。「これだ」と決めた方向性に沿って、まずは記念にみんなで1曲作ってみたのが、2010年に発表した「再生-rebuild-」。のちに『ダンガンロンパ』のテーマソングに起用していただいた曲なのですが、それがターニングポイントになったんです。ようやく今やっている音楽性にたどり着いた。

──その音楽性というのは、具体的には?

緒方:チームでは「エール・ロック(応援ロック)」と呼んでいます。相変わらず洋楽が大好きなので、そのあたりの影響はサウンドにあるんですが、歌詞の面で「これからは人の背中を押すような楽曲しか作らない」って決めた。それはさっき話したブルーハーツの歌詞から受けた影響もあったように思います。優しさと熱さが同居している音楽。ちなみに、今作に入っている「Byo-doでいきましょう」は、割とダイレクトなブルーハーツ的パンクです(笑)。

──「エール・ロック」を書くようになったキッカケはありましたか?

緒方:「言霊」。おそらくエヴァ(『新世紀エヴァンゲリヲン』で主人公・碇シンジの役)をやるようになってからだと思うのですが、私の発する言葉のパワーというか、「言霊」としての威力が強いと、いろいろな方に言われるようになったんです。芝居でも、ラジオトークでも、歌でも。最初はそうかな、と訝しんでいたんですけど、その後どんどん……主に歌を作る時に、顕著になってきて。例えば、失恋の歌を書こうとしたら、そのシチュエーション通りの流れで長年付き合っていた恋人と別れたり(笑)、身近な人の「死」について書いていたら、本当に親しい人を亡くしてしまったり。もちろん、ポジティブな詞の時にはその通りのいいことも起こったり、もあったのですが、そんなことがどんどん重なるようになって、自分でもちょっと怖くなってしまって。……ちょっとオカルトじみた話で恐縮なんですが。

──良くも悪くも、影響力が強くなったんでしょうかね。

緒方:いいことも悪いことも、もし本当に「言霊」の影響があるんだとしたら、これからはポジティブなことだけを書くようにすればいいんじゃないかって。それでもし良いことが起きるのだとしたら、少しは自分も誰かのお役に立てるのかもしれない。何より、それをシャウトする自分自身が気分いいですしね!(笑)。

──そんな「エール・ロック」を書くきっかけとなった、『rebuild』より以前のキャリアを“Early Ogata”と呼んでいるわけですね。

緒方:はい。今、声優になって25周年イヤーを迎えているのですが、その最後の企画として、今回のアルバムをランティスさんからご提案頂きました。せっかくだから、その“Early Ogata”の中でも、今も伝わるような強いメッセージ性を含んだ楽曲……そういうものをピックアップして、今一緒にやっている音楽仲間やチームの皆さんと“今の緒方サウンド”にアレンジしよう、と。ここらで昔の自分に、ケジメをつけるみたいな感じですかね?(笑)

──“Early Ogata”にケジメをつけるアルバムが、本作だと。

緒方:だいぶ前置きが長くなりましたが、はい(笑)。ケジメでもあるし、その頃の私を好きでいてくれた人たちにも、今の私たちが作っている音楽に興味を持ってもらえるきっかけになったらいいなと思いました。

──しかも、最近ファンになってくれた人たちに“Early Ogata”を知ってもらえるきっかけにもなりますよね。

緒方:そうなんです。今、ライブをやると、会場の後ろ三分の一くらいは中高生から20歳前後が多いんですが、そういうみんなは当たり前ですが最近の私の曲をメインに聴いていて、「昔の楽曲は多すぎて、一体、どこから手をつけたらいいのか」っていう感じになってて(笑)。そういう人たちに、“Early Ogata”の楽曲に触れてもらえるきっかけにもなったらと。ていうか今のこのご時世、こんなセルフカバーが16曲も入ったベストアルバムを作らせてもらえるなんて、そうそうないじゃないですか。ありがたい。この機会を逃したらもう一生ないと思い(笑)、作らせて頂くことになりました。

──冒頭の「silver rain -piano ver.-」は、緒方さんと井上社長とのコラボですよね。

緒方:はい。この曲のオリジナルは、前レーベルで出したシングルなんですが、ランティス移籍後初のレコーディングとして、記念にと、1コーラスだけのピアノバージョンとして一緒に録ったんです。それを、19年経った井上さんと私で、もう一度同時録音。詞曲共に私が書いたのですが、今聴くとものすごく感慨深く……〈ああ 降りはじめの雨のように あなたは肩をたたき そう 俯きつつ迷っていた 私を振り仰がせた〉、〈雨が降る夜も 風が吹く朝も あなたを想えば 勇気がわくから〉という感謝の歌なんですが。

──緒方さんにとっては井上さんこそが「silver rain」だった。

緒方:音楽的に迷っていた私の肩を叩き、「自分でやりたいように曲を書くべき」「バンド修業をしておいで」と後押しをしてくれたのが、井上さん。本当、すべて井上さんのおかげです。でも、本当はね。さっき私は「声優としても演じていたし、歌でも演じていた」って言いましたけど、当時は自分の中に「誰かに何かメッセージを残したい」っていう気持ちは、あまりなかったんだと思うんです。声優になる前に趣味で曲を書いていたのは事実ですが、その頃の歌詞なんてフワフワで。「伝えたいメッセージ」なんて、何もなかった。そういう自分だったから音楽屋ではなく、誰かの言葉を借りて気持ちを伝える職業を先に選んだんだし、だからこそ胸を張って「プロのミュージシャンです」とは言えなかったんじゃないかと。

──声優での経験を経たからこそ、伝えたいメッセージが生まれてきたと。

緒方:はい。声優としてデビューして、運良くブームに乗って、図らずも人前に出るようになって、自分の言葉を吐かなければならないシーンがたくさんでてきてしまって。そうやってフロントとして鍛えられ、「社会人生活」を送る中で、自分の言葉が、揺るがないものみつかった。いまのこの国に生きる中で、ひとりの音楽屋として、「いま、この言葉を、音を届けたい」という気持ちが。それが、2010年の「再生-rebuild-」につながった。完全に覚悟が決まった瞬間。長い長い下積みだったし、ものすごく“遅咲き”なんですけど(笑)。

──でも、そうやって考えると全てが必然だったとも言えますよね。

緒方:そうなんです(笑)。もし、もっと早いタイミングでデビューしてたら、こんなにたくさんの仲間と出会う機会もなかったかもしれない。声優をやっていたからこそ、色んなレコード会社とお付き合いすることができて、色んな現場に知り合いができて。のたうちまわっている私の姿を見て(笑)、「助けてやろう」って思ってくれるスタッフや、共感してくれるミュージシャンに出会えた。自分は、ものすごく幸せだなと思います。

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