ジャニーズとAKB48グループの比較から見える、男女アイドル「成熟」の違いとは?

 今年8月にリアルサウンドに掲載された、『中居正広という生き方』の著者・太田省一氏のインタビューの中で、ひとつのキーワードになったのが「アイドルが続く」ということ、そしてそれに関連しての「成熟」だった(参考:SMAP・中居正広はなぜテレビ界で「前例のないアイドル」となったか? 話題の研究本著者が解説)。太田氏は「『アイドルが続く』ということには、好きになってくれるファンの側の成熟もあるんだろうと思います」と語り、思春期と切り離せないものだったアイドルについて、その条件を超えた存在としてSMAPを考察した。「成熟」という観点とジャニーズとの相性が良いのは、ジャニーズの場合、現役のジャニーズのメンバーたち自身がその立場を保持しながら年齢を重ねているため、アイドル自身と受け手両者の「成熟」について歩調を合わせて考えやすいためだ。

そしてまた、男性アイドルと女性アイドルが比較されるとき、とかく論点になりやすいのもこの、「成熟」についてである。すなわち、男性アイドルは歳を重ねて「アイドル」であることを維持するのに成功しつつあるが、女性アイドルはあくまで若年期に限定される、といった見立てによる議論だ。年齢にまつわるこのような見立ては、ごくおおまかに言うならばおそらくは正しい。実際に、「男性アイドル」は40代以降も「アイドルである」道を拓こうとしているし、「女性アイドル」にまだそうした道は確立されていない。一方で、その見立てをもとに議論を一般化するには、もう少しその前提条件を細かく見る必要がある。今回は、そのいくつかの前提について考えてみたい。

 こうした比較において「男性アイドル」というとき、それは多くの場合「≒ジャニーズ」になる。いうまでもなくドラマや映画、舞台、広告などあらゆるジャンルで巨大なブランドを確立している、それ自体芸能界全体にとって例外的な事務所がジャニーズであるし、ジャニーズのデビュー組になることは、そうした大事務所の中で確立された道程を、現実の未来としてイメージできるということでもある。アイドルにとっての「卒業」は、俳優などの芸能ジャンルに本格進出するための、ある種の決意表明のようなものでもある。しかしジャニーズのデビュー組についていえば、歌やダンスを中心としたジャンルとしての「アイドル」を、俳優等への本格進出と相容れないものにする必要がない。ジャニーズのデビュー組であることは、「芸能人」としてのある種の特異な選別を受けた身であることも意味する。ジャンルを問わずきわめて例外的なポジションにあるジャニーズを「男性アイドル」一般の事例とすることが、少なくとも「女性アイドル」との比較においてどの程度適切でどこに限界があるのかは省みられていい。とりわけ、仮にAKB48グループを女性アイドルの代表と考えるにせよ、「AKB48グループ以外」という選択肢が無数にある女性アイドルと、「ジャニーズ以外」の継続的な事例に乏しい男性アイドルとが比較されるならばなおさらだろう。

 ただし、そうした前提の上で、女性アイドルがそれ自体、上述した「成熟」以降のストーリーを描きにくいことは確かだ。それはアイドルが基本的に「過程」の存在であること、そしてその「過程」の段階こそが大きなコンテンツになっていることによる。特にAKB48に顕著なのは、基本的にはソロでそれぞれの道を見つけるためのステップとして位置づけられていた組織が、おそらくは当初の想定を超えて膨張し、ステップとしての場そのものが巨大コンテンツになったということだ。

 ステップとして位置づけられていたもの自体がコンテンツになるとはつまり、以下のようなことだ。通常であればステージに立つ人物は、歌やダンスなどのそれぞれのスキルをもって、プロフェッショナルとしてより少数に選別される。しかし、ここではその選別以前の集合状態そのものがエンターテインメントとして成り立っているということになる。結果、その集合状態特有のダイナミズムの面白さが強調され、その場で自身を活かすための自己プロデュース的な種々のスキルを発揮できるようにもなる。それは既存の意味での「スキル」によってあらかじめ選別されるようなあり方では測れなかったセンスをすくい上げる、もしくはそうしたセンスを育むために時間をかけることを許容する場ということでもあるはずだ。あるいはHKT48の指原莉乃のような存在は、そうした場からスタートしてこそ現在のような比類ないアイドルになり得たのかもしれない。

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