長渕剛はなぜギター1本で歌ったのか 原点回帰的ライブ『STAY DREAM』を振り返る

 喜び、悲しみ、怒り、生と死……「現実を忘れさせてくれるような音楽もいいけど、自分は育った環境の中でしか歌を書けない」(長渕剛のオールナイトニッポン 1990年8月)。

 長渕剛ほど、人生における己の感情をこれほどまでに歌にぶつけてきたアーティストは他にいないだろう。7月2日にリリースされる自薦ベストアルバム『All Time Best 2014』はシングル曲に加え、アルバム曲を「生きる詩(ことば)たち」「怒りの詩(ことば)たち」「叫びの詩(ことば)たち」というテーマに分けて収録、まさに“歌と詩の生き様”である。

 初回限定盤には「LIVE'86~'87 STAY DREAM」ツアーの追加公演1987年2月25日大阪城ホールからの秘蔵映像が収録される。これはオーディエンス1万人を相手にセンターステージに立ち、ギター1本で挑んだ伝説のライブだ。この日の模様は当時、インタビューメインの内容でテレビ特番が放送されたが、ライブ自体はごく一部のダイジェストのみであり、今回初の映像パッケージ化ということで注目が集まっている。

世界初のライブパフォーマンス

 「ギター1本のステージでも弾き語りという言葉は使いたくなかった」当時、長渕はさまざまな音楽誌などでこのライブについてそう語っていた。弾き語りではなく、アコースティックギター1本でロックンロールをやる。それはギター1本で歌うという原点である同時に「四畳半フォーク」とも呼ばれ過ぎ去ったブームという世間の風潮に対する反抗であり、従来のコンサート・ライブ形態の常識を覆すものであった。本ツアーが行われた1986年は、歌謡曲からニューミュージックへ、打ち込みやシンセサイザーを使った音楽が主流となり、そしてバンドブームの余波が押し寄せようとしていた時代である。もっともアコースティック・バージョンと呼ばれる楽曲アレンジ形態が普及したのは、エリック・クラプトン『アンプラグド』が発売された1992年以降のことだ。

 世界初とも言われるこのライブパフォーマンスにおいて、画期的とも言える多くの試みがあった。ハーモニカホルダーに取り付けられたマイク、ヘッドセットマイクの使用、そしてエレアコ(エレクトリック・アコースティックギター)によるラインシステムである。当時ヤマハのギタービルダーであり、ジョン・レノンやポール・サイモンのギターを手掛け、長渕のギターも製作していたテリー中本氏の協力のもと試行錯誤された。エレアコのはしりであったヤマハの主力モデル「APX」が誕生したきっかけの一つにもなっている(正確にはCWEの改良版として)。

 それらすべてをまだ普及していなかったワイヤレスシステムによって制御し、観客が取り囲むステージを360度走り周りながら歌うことができるようにしたのだ。そのワイヤレスレシーバーの数と大袈裟なヘッドセットマイクの形状がその苦労を物語っていた。デビュー当初より、観客を総立ちにさせ、客席に飛び込むなど、フォーク・シンガーとしては強烈すぎるライブパフォーマンスを展開してきた経験と、人がやってないことをやるアイデアの集大成とも言えるだろう。センターステージにギター1本というスタイルはのちに「LIVE’92 JAPAN」、「LIVE’95 ACOUSTIC ROAD Just Like A Boy」で東京ドームの65,000人に立ち向かうことになる。

『STAY DREAM』という原点回帰

 本ツアーは『STAY DREAM』(1986年10月リリース)というアルバムに基づいたものである。ライブ盤を除いては初となる、弾き語りを中心としたアルバムだ。ギター、ピアノなど最小限の生楽器で作られた、まさに原点回帰というべき1枚である。

 フォーク・ブームがとうに終わりを告げた1978年にデビューした長渕は、今までのフォークの枠に収まり切らないアグレッシブさとどん欲さを持っていた。それは音楽にも現れ、ファルセットを巧みに使用する澄んだ歌声は魂の叫びとも言えるようなしわがれた野太い声に、バックバンドを付けるようになってからはロック色の強いサウンドに傾倒していく。

 その変化に戸惑いを隠せないファンも多かったが、一番違和感を覚えていたのは、実は長渕自身だったのかも知れない。ロックテイストの強かった「LIVE’85〜’86 HUNGRY」と題されたツアーは毎日39度の高熱、点滴を打ちながらの180日間だったという。最終的には緊急入院により、ツアーは約半分の公演しか出来なかった。『順子』のヒット、日本武道館、西武球場公演(現・西武ドーム)、そしてドラマ主演と、デビューから走り続けた長渕は30歳目前にして倒れてしまった。

 金銭問題、人間関係のしがらみ、母親の大病が重なり精神状態は極限に達していた。その時の心情を一度は全てを捨てる覚悟までしていたと語っている。『STAY DREAM』における「死んじまいたいほどの」という叫びは本音であったという。そこで自らの音楽を見つめ直し、原点であるギター1本に立ち返る決意をする。

 苦境を乗り越えた復帰後のラジオ番組において“とある歌”を披露している。軽快なギターの刻みに乗せて「負けた負けた自分に負けた、初めて負けた」と連呼する徹底的に己を卑下した歌。入院時の病室で書いたこの歌はこの時のテイクのまま、アルバムの1曲目に「レース」という題名で収録された。スタジオに独りギターを抱えマイクに向かう長渕と対峙しているような緊張感を与える作風を象徴するとともに再スタートにふさわしい幕開けになっている。

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