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柴那典×さやわか 『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』刊行記念対談(後編)

「初音ミクを介してローティーンにBUMPの歌が届いた」柴那典+さやわかが語るボカロシーンの現在

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柴 那典
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 音楽ライターの柴那典氏と物語評論家のさやわか氏が4月6日に五反田のゲンロンカフェで行ったトークセッション『★さやわか式☆現代文化論 第6回『初音ミクの真実!』さやわか×柴那典』の模様を取材。前編【初音ミクはいかにして真の文化となったか? 柴那典+さやわかが徹底討論】では、テレビ論や音楽ビジネスのあり方、電子音楽の系譜における初音ミクの存在について会話が展開した。後編では、教育の現場などに導入され始めているボカロの現状や、ヤンキー文化とオタク文化について語り合った。

「初音ミクが『ここにいるんだよ』って歌うときのエモーションに中二病を感じる」(柴)

さやわか:これはあえて聞きたいのですが、柴さんは初音ミクが将来的にもっと普及したら、紅白に出たりするようになるというふうに考えていますか?

柴:可能性としてはあると思いますけれど、初音ミクのキャラクター人気がどれだけ普及するかというより、将来を見通して僕が考えるのは、むしろ音楽の需要のされ方がどれだけ変わるかということですね。今の若い世代は、すでにCDで音だけを聴くのとは違うスタイルで音楽を消費している。たとえばカゲロウプロジェクトの曲って、やっぱり音楽だけ聴くよりニコ動やYouTubeで映像と一緒に聴く方がずっと感情に訴えかけると思うんです。曲の持っているイメージや伝えたいものが、映像と共になって初めて伝わってくる。CDやレコードが要らない、というつもりは全くないんですけれど、音楽ファンであればあるほど、パッケージメディアを大前提に考えがちで。

さやわか:言ってみれば音楽至上主義なわけですよね。だから音楽が別メディアと一緒になって遍在している状態を、「音楽が生き延びている」と捉えない。レコードとかCDとか、単一のメディアで扱える場合の音楽を重視したい。

柴:少なくとも、音楽の文化がこれから変わっていくのは明らかだと思うんです。宇多田ヒカルの『First Love』が1999年にリリースされたというのは、今振り返ると、すごく象徴的なことだと思っていて。というのは、少なくとも日本においてあれを越えるセールスのCDは、おそらくこの先ないですよね。そういう作品が20世紀の終わりにリリースされた。要するに、レコード文化というのは、20世紀の音楽文化だったと思うんです。エジソンが蓄音機を発明したのが19世紀末で、20世紀初頭に今あるレコード会社というものが登場しました。当時は音楽を一つの円盤に録音すること自体がものすごいイノベーションだと思うんですね。それが今に至るまで続いてきたけれど、マーケットの主流はこの先別のものになっていくはずだと思います。

さやわか:音楽の聴取スタイルが変わるっていうのは、動画と結びつくとか、あるいはダンスに結びつくとか、きっとそういうことでしょうね。こういう話をすると、今までだってそうだったじゃないかという人がいるんですが、そこにはもっとあけすけな変化が見て取れるのだろうと思います。20世紀の音楽文化が基礎にした、単一のメディアによる消費スタイルが目に見えて解体されて、音楽は常に何かに付随しているものに変わっていくのかもしれません。

柴:僕はJ-POPやロックのアーティストへの取材を多くやっているんですが、特に先端で戦っているバンドたちはその辺の変化に気付いています。総合芸術的なライヴステージを作らないと、ほかのエンターテイメントと勝負できないし、そもそもバンドとしての勝負さえできない。サカナクションやPerfumeは良い例で、照明やレーザーや映像、特殊効果や、最先端の技術を駆使したステージをやっています。おそらく、そういう視覚的なパフォーマンスも含めた「同期の快楽」っていうのが、今の音楽のコアになっていることに気付いているんでしょう。先日、BUMP OF CHICKENの幕張メッセのライブに行ってきたんだけど、彼らもどうやらそこに照準を当ててきている印象でした。

さやわか:一回性のパフォーマンスであることを重視してライブをやっていますね。SEKAI NO OWARIなども同じようなことをしています。

柴:BUMPは今、テクノロジスト集団のteam Labと組んでいるんですよ。で、ライブ中に「チームラボボール」っていう直径2メートルくらいの超巨大な白いボールが何百と客席に投げられる。それがフワフワ浮かんでいて、お客さんがボールをタッチするとセンサリングで色が変わるんですね。つまりお客さんは会場の照明演出に参加できるんです。ロックバンドのライブって、もはやそういうショーになってきている。ザイロバンドっていう光るリストバンドもそう。お客さんは巨大な照明設備の一部になるわけです。これが体感するとめちゃくちゃ楽しいんですね。

さやわか:ようするにあれって、「盆踊りのすごいヤツ」って感じですよね(笑)。ちなみにBUMPと初音ミクは最近、「ray」という曲でコラボしていますよね。

柴:あれは様々な文脈ですごくいいコラボだったと思います。ボーカロイドのプログラミングはlivetuneのkzさんがやっているし、MVの監督は渋谷慶一郎+初音ミクのオペラ『THE END』のプロデューサーをした東市篤憲さんという方が務めている。彼ら自身、自分たちのバンドの歴史もあるし、初音ミクのファンがいることも知っているし、本気でやらないと納得させられるものを作れないだろうと思ったらしいです。でMVの撮影にあたっては「CG合成じゃない」というところにこだわりを持っていたそうです。つまり、後からCGを足したのではなく、一緒に共演したという。巨大な円筒型のスクリーンに初音ミクを投射して、その周りで4人で演奏する様を撮影した。一緒に演奏すること、つまりは共時性にこだわっている。

さやわか:共時性ということでいうと、『THE END』が示唆したのは初音ミクというのが生きているか死んでいるかわからない、そこが面白い存在なんだということでしたよね。生でも死でもない、つまりはキャラクターでも楽器でもない、そういう曖昧な幅を持ったものと、人間が一緒にいることが大事なカルチャーというか。そこにはいない存在が「いる」と主張することに意味がある。

柴:まさにそう! 初音ミクが「ここにいるんだよ」って歌うときに込み上がってくる、不思議なエモーション。それが「中二病」の象徴だと思うんですよ。

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