佐村河内氏が記者会見で力説 「調性音楽の復権」はどのような文脈で登場したか
全聾の作曲家として知られ、「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などのヒットから一時は「現代のベートーベン」とも評された佐村河内守氏。しかし後の週刊誌のスクープにより、それらの楽曲の大半が音楽家の新垣隆によって手がけられていた、いわゆる「ゴーストライター」の手によるものであったことが明らかとなった。3月7日に行われた謝罪会見で佐村河内氏は次のように語っている。「私は70年間に渡る現代音楽というものに対して肯定的ではありませんで、昔の「調性音楽」というものの復権、そういう尖兵が現れて時代が変わればいいなあというような希望を持っておりました。当然この70年間続いたアカデミズムの伝統ですから、絶対に生きているうちにはこの長大な音楽、交響曲は演奏されないと思っておりました。でもそのことと、それを世に残しておく。いつか尖兵が現れて、時代が変わったときに「今の時代に見合うような音楽がここにもある」と誰かが拾ってくれればそれでいい、というようなことで(ゴーストライターを使ってまで)完成させたのが、交響曲第1番です」。
音楽学者の岡田暁生は著書『西洋音楽史』において、20世紀における西洋音楽の行方を三つのモードに区分している。第一に広範な聴衆の支持を犠牲にしてでも「芸術」のエリート性を保とうとする、一部の前衛的な作曲家たちが選んだ現代音楽。第二に創作面が現代音楽というある種のアングラ音楽と化していくなかで、西洋音楽の「公的音楽」としての側面が演奏文化に継承されていく「クラシック音楽のクラシック化」 。新曲を楽しむというより固定されたレパートリーについて演奏の差異を味わうという音楽鑑賞の形態は、録音メディアの発達も後押しとなり20世紀に入って加速度的に進行していくこととなる。そして第三にポピュラー音楽の勃興。娯楽音楽の発信地がヨーロッパからアメリカへと移行するなかで、サロン音楽をルーツにもつポピュラー音楽がクラシック音楽の受け皿となった。従来ならオペラやサロン・ピアノ音楽などの作曲家になっていただろう多くの人が20世紀においては産業音楽に従事するようになったのは周知の事実である。
ゲーム音楽という産業音楽をキャリアの原点にもつ佐村河内氏は、会見における発言からも上記のような現在のクラシック音楽が置かれている状況に対する強い不満があったのだろう。すなわち20世紀後半以降は作曲家と演奏家が決定的に分離され、アカデミックに評価される創作は一般に難解な現代音楽が主流とされていること。自身の愛するクラシック音楽においては「作品を作ること」から「作品を演奏すること」へ創作の対象がシフトしており、自分で曲を書くかわりに他人の書いた曲を独創的かつ鮮やかに演奏することをもって新しい創作とされる「クラシック音楽のクラシック化」が進んでいること。そのなかで現代音楽とは異なる形の(調性のある)新しいクラシックの登場を渇望した結果、(ゴーストライターの手を借りて)自ら曲を創る道に至ったものだと考えられる。
クラシックジャーナルの編集長である中川右介氏はWEB RONZAでこう指摘する。「佐村河内氏は現代の音楽界への異議申し立てとして『自分はあえて昔ながらのロマン派風の交響曲を時代錯誤と分かっているけど書くのだ』というようなことを言って登場した。それはそれでひとつの考えである。だからそういう考えで書いてそれが売れるのなら、それはある意味でクラシック音楽業界が見逃していたマーケットの開拓である」(参考:WEB RONZA)。今回の「交響曲第1番《HIROSHIMA》」のヒットがどこまで佐村河内守というパーソナリティによるものなのかは知る由もない。しかし騒動前にこれだけの評価と賞賛を集め、普段はクラシックと縁遠いであろうリスナーまで惹きつけたことは事実として忘れてはならない。調性音楽としての完成度を備えた作品が、ポピュラー音楽のように一般のリスナーから歓迎され得ることが改めて示されたのである。
ゴーストライターなどのスキャンダラスな話が先行して「交響曲第1番《HIROSHIMA》」について論じられることはほとんど無くなってしまったが、かの曲が現在のクラシックへ一石を投じた問題提起について我々はもう一度、冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。
(文=北濱信哉)