「だれかの日記が届く」不思議な日記サービスに7万人が登録 “SNS要素を排除”した制作者の想い

不思議な日記サービス 制作者の想い

 日記を書くと、見知らぬ誰かの日記が届く。そして自分の日記も、見知らぬ誰かのもとに届く。

 まるで一度きりの文通をしているような不思議なサービスが、いまXを中心に話題を呼んでいる。サービスの名前は『日とと記(ひととき)』。「いいね」や「フォロー」といったSNSによくある機能は一切なく、ただ見知らぬユーザー同士で日記の交換を行うという、シンプルなサービスだ。

『日とと記』:https://diary.aaaaaso.com/hitotoki/

 『日とと記』はリリースされてからまだ1カ月にも満たないサービスだが、すでに登録者数7万人、投稿数20万件以上と、大きな反響を呼んでいる。なぜ、いいねやフォローもないサービスに、これほど多くの人が惹かれるのだろうか。今回は、筆者が『日とと記』を利用して感じたこととともに、サービスを開発したあそ氏に制作の背景を聞いた。(はるまきもえ)

日記を通して感じる「他者の存在」

 『日とと記』がここまで大きな注目を集めた理由のひとつには、日記を受け取る「相手」がいるというのがある。

 きっと読者にも思い当たる節があると思うが、日記は意外と続けるのが難しい。筆者も、何度も書き続けるのを諦めてしまった経験がある。SNSに日常を投稿するのが当たり前になったいま、自分の世界だけで完結していることに物足りなさを感じてしまう部分も正直ある。

 とはいえ、完全なひとりごとは寂しい。一方で、不特定多数の視線にさらされるのも違う。SNSでは鍵付きアカウントを使ったり、24時間で消えるストーリーズを投稿したりと、限られた範囲で気持ちを共有したい人は少なくない。個人を特定されないかたちで、心の内をそっと吐き出したいというニーズはたしかに存在している。

 『日とと記』は、その両者の欲求をバランスよく満たすサービスのように感じる。そしてなによりも、日記を書くと、代わりに誰かの日記が届く。そんなささやかなサプライズがあるからこそ、「また書いてみよう」という気持ちが自然と芽生えるのだ。

 実際に使ってみて感じたのは、人の日記というものはこんなにも面白いのか、ということだ。純粋な感情が、自分だけを目掛けてダイレクトに届く。しかも、見るまでどんな感情がぶつけられるかわからない。ときには笑ってしまうような言葉も届く。「あぁ、私と一緒で、みんなも今日をどうにか生きているんだな」と、勝手に親近感が湧いてしまう。

 そして、自分の日記を受け取ってくれる人がこの世界のどこかにいるという、自分が世界とつながっていることが見える安心感。このささやかなやりとりが、『日とと記』独自の温かさなのかと実感した。

 日記を書いたら、誰かに届く。だが、不特定多数に届くわけではない。ちなみにこの仕組みは、トミナガハルキ氏が制作した『ラクノオト』というサービスがヒントになったと、制作者のあそ氏が明かしてくれた。

「『ラクノオト』は環境音をミックスできるサービスなのですが、世界のどこかの誰かと設定を同期できるという機能があるんです。相手が誰なのかはわからないけど『だれかがこういう設定をしていたんだな。それをたしかに聴いていたんだな』という距離感がすごくちょうどいいと思っていました」

ラクノオト:https://amix-design.com/tl/tool-chill/

「こういうかたちで誰かの存在を感じられ、自分の存在もまた、誰かが感じているかもしれない。そういう無理のない距離感で小さく支え合っているような感覚が、自分の関心ともつながっていて、設計の大きなヒントになりました」

 こうした他者とのつながりには、あそ氏がもともと抱いていた“日記を書く意味”にも通じていた。

「日記を書く根源には、“私がほかでもない私であること”を実感したい気持ちがあると思っています。その実感は、少なからず“それが誰かに届いて認められるかもしれない”という感覚に支えられている部分があると思っていて。SNS的な承認欲求を否定しているわけではないのですが、これは、ただ“誰かが知ってくれる”ことで、健全に満たされる感覚に近い気がしています。

 そうした感覚が自分以外にもあるのだとしたら、それを手のひらサイズで実践できる場所があってもいいかもしれない。そこから、小さくても希望を感じられる人がいたらうれしいと思って、『日とと記』をつくるに至りました」

SNSの喧騒から離れ自分と向き合う

 あそ氏はボカロPとしても活動しており、日記を書くことは音楽活動と地続きだという。「自分は何を見て、どう認識して、どのように世界に触れているのか。逆に、世界のほうが自分にどう関わってくるのか、そうした“自分という存在が世界のなかでどう在るか”のようなことに、ずっと関心がありました。音楽も、その問いを自分なりに探求するような感覚で書いているところがあります」

「日記ももともと個人的に書いていたのですが、これもまた“自分がどう在るか”に関わっているように感じていました。『自分の生活の何を書くか』『それをどう書くのか』あるいは『何を書かないことにしたのか』。そうした選択の積み重ねが、自分の輪郭をかたちづくっていくように思っていたんです」

 誰かに届けることで自分を認識しながら、日記へのリアクションを排することで自分自身を見つめ直す静けさも保つ。この2つが同居しているのが、『日とと記』の魅力だろう。あそ氏は自身のXでも、『日とと記』を「SNSにしない」設計にしたことを明かしている。

「物足りなさを感じるかもしれないですが、それによって守れる心の静かさもあると思っていて。『日とと記』においては、その静かさを大事にしたいという気持ちがあります。日記を書くというのは基本的にはプライベートで静かな活動ですが、誰かの評価を気にして一喜一憂したり、システムに縛られるのは、“いい日記らしさ”をなくしてしまうと思いました」

 いろんなところから「こっちを見て!」と呼びかけてくるSNSの喧騒を一度遮断し、アナログのポストだけがポツンと置いてある。『日とと記』はそんなシェルターのような空間だと思う。筆者は日頃、SNS文化の小さな変化や事象について取り上げることが多いのだが、最近はとくに、SNSで評価・比較されることに疲れている人が多いように感じる。

 ただ、SNSに疲れているだけなのであれば、誰にも見られない“本来の日記”を使えば十分なはずだ。だが『日とと記』は、他者とのつながりを完全に遮断していないところに魅力がある。しかも届くのは、メッセージではなく日記。つながることを目的にしているのではなく、あくまで記録を「届く」「受け取る」ことしかできないため、変な気を使う必要がなく、心地よさを感じる。

 リリース後の反響について、あそ氏はこう語る。「知らない誰かの日記を読むことが、その人にとって気付きや希望、優しい気持ちにつながる可能性があるというのは、想像以上でした。使ってくれているみなさんをあっと驚かせるような新しい何かを用意することは考えていませんが、必要のないことをせず、よい場所として在り続けるために必要なことをやっていければと思っています」

 限りなくシンプルだけど、なぜか温かいUIデザインからも、あそ氏が『日とと記』をどういう場所として置いておこうとしているのかが伝わってくる。見知らぬ誰かの日記が届く。ただそれだけの仕組みなのに、そこにたしかに人の存在がある。「静けさ」と「つながり」という、一見矛盾する感覚を両立させているからこそ、『日とと記』は短期間で多くの人の共感を集めたのかもしれない。

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