TR-808とTR-909はRolandにとって「トラウマ」だった? 開発者たちが語る、40年ぶりのアナログ機『TR-1000』発表の裏にあった“因縁”
大手電子楽器メーカー・ローランドが10月18日、原宿・Roland Store Tokyoでトークセッションイベント「TR History Meeting」を開催した。
本企画は今や世界中の楽曲で使用され、この音を聴いたことのない人はいないであろうドラムマシンの名機『TR-808(通称:ヤオヤ)』『TR-909』から繋がる「TRシリーズ」のコンセプトや歴史から、シリーズ最新作『TR-1000』の開発秘話などが明かされる貴重な内容だ。
登壇者はローランドの元代表取締役社長、元技術本部長であり『TR-808』や『TR-909』だけでなく『D-50』(1987年)、『V-Synth』(2003年)、『V-Piano』(2009年)の開発も務めた菊本忠男氏、「TR-909」のデジタル回路の設計とCPUプログラムを担当した星合厚氏、そして「TR-1000」の製品開発リーダー・田原大地氏の3名。この豪華な90分を以下にレポートしたい。
イベントはTRシリーズの歴史を辿るところから始まった。既にローランドは1978年に自社初のリズムマシン『Roland CR-78』をリリースしていたが、創業者・梯郁太郎氏はアメリカ出張で「ドラマーを雇うコストを下げるため、リアルな音のドラムマシンが望まれている」というニーズをキャッチ。
当時、既に世界初のサンプリングドラムマシン『Linn LM-1』(1980年発売)を開発していたロジャー・リンが製品のPRをしていたが、サンプリング方式だと開発コストが10,000ドルを超えてしまう。そこで本物の音をシンセサイザーで、かつ1,000ドルで売ろうとスタートしたのが『TRシリーズ』開発の始まりである。
そしてアナログシンセサイザー『Roland SYSTEM-700』(1976年発売)でドラムサウンドを作り、アナログ回路でその音色を再現することを目指して開発された『TR-808』が1980年に発表された。しかし16ステップの入力方式は評価されたものの音色についての評価は社内外で低く、菊本氏をして「まったくリアルな音ではなく失敗だった。トラウマですよ」と言わしめる辛い結果に。
結局、販売期間3年間でわずか1万2000台しか製造されず『TR-808』は廃盤。それが安価に中古市場に流れていく(現在日本では80万ほどの値がついている)。それがヒップホップなどのプロデューサーに発見され、マスターピースな音色として今に継承されていくエピソードは有名だが、彼らが『TR-808』に目を付けたのは皮肉なことに“リアルな音ではない”からだった。
「超低音が出て試行錯誤が簡単にできることで人気になり、この音に合った音楽がヒップホップになった」と菊本氏は振り返る。だが自分たちの開発した楽器を海外のプロデューサーたちが好んで使用しているとは、彼自身も1992年くらいまで知らなかったという。
あるプロデューサーが菊本氏へ「これは悪魔の音だ」とまで言った『TR-808』のキックのディケイ(減衰)を伸ばしたベース音は今やトラップやドリルをはじめ、ヒップホップやダンスミュージックにとって重要な音色となっている。この音が持つ平均55Hz前後の超低域のベース音は現在「サブベース」と呼ばれ、音楽制作における重要な部分だが、当時その帯域が鳴る機材は存在せず意識もされていなかった。
この超低音が世に出た秘密は当時の開発室のスピーカーにある。
「チープなスピーカーだったんです(笑)。音を鳴らすと揺れているのはわかるけど、(音程が低すぎて)聴こえない。あれは耳ではなく体で聴く音だったのかと最近理解しました」(菊本氏)。
「当時のスピーカーでは低音が出てるか出てないか、よくわからなかったんですよ。だから特にカットしなかった。それが後でよく働いたんです」(星合氏)
あの“底知れぬ”音は開発者の予期せぬところで生まれ、世界中のダンスフロアを揺らしたのだ。
なお現在「低音ルネッサンス」を提唱する菊本氏はパイプオルガンの低音に触れながら、「宗教音楽とダンスミュージックのエクスタシーは繋がっている。20Hz〜50Hzを感じられれば音楽はもっと楽しくなるはず」と重低音のさらなる普及を期待しているという。
その後継機として1983年に発表されたのが『TR-909』。アナログとサンプリング(6bit!)の両方の音源を搭載した機種だが、時期的には前年に『Linn LM-1』が安価になったドラムマシン『LinnDrum』が発売され、マイケル・ジャクソンやプリンスらの楽曲で使用されていた時期である。
それを意識して『TR-909』を全部サンプリングにするアイデアはなかったのか。それについて星合氏は「サンプリングだと音の変化が作れないから、最初は全部アナログ音源で作りたかったんです。でもどうしても満足できる音にできなかった。仕方がないからハイハットやシンバルはデジタルで我慢したんです」とコメント。
さらに菊本氏は「サンプリングはいい音を録音しているだけだからイージー。シンセサイザー企業ならシンセでやるべき。それが技術者としての矜持」と語る。また容量の制限がほとんどない今とは違い、当時のメモリのスペックではオールデジタルを安価で実現するのは困難だったという事情もあった。
しかしながら「ドラムのチューニングなど音色をエディットする」という考え方は今のDAWの考え方にまで繋がっている。特にドラム演奏においてオープン/クローズなど多様な表現ができるハイハットに対して、踏むだけになってしまったキックの音色にとって、この考え方は大きかったのではないだろうか。
さらに現場には実際にサンプリングされた星合氏愛用のハイハット&シンバルが登場。「どの楽器を使うんだ?という話になって、使うなら大好きだった自分のシンバルを使うしかないと思った」と話しながら実演もしてくれた。
それによって『TR-909』のライドとクラッシュはそれぞれ同じシンバルのカップ(中心)音と普通に叩いた音とで弾き分けていたことが判明。そして録音は社員が退社した後の事務デスク横で行われたらしい。
そんな開発者の熱意も空しく『TR-909』も特に売れたわけではなかった。だが、世界中のハウスやテクノなどのプロデューサーたちによって現在はレジェンド楽器としての地位に登り詰めている。
そのDNAを受け継ぐシリーズ最新機種が今年発売となった『TR-1000』。デジタルとアナログの両方を搭載した初となるフラッグシップのリズムマシンで『TR-808』や『909』、FMからPCMの音色はもちろん、サンプル音源は2000種類以上、他にも数々の機能が入っている。『TR-808』系サウンドの8XのキックもTUNE機能で最低16Hzまでの音が出る。
本製品の企画はUS社員のピーター・ブラウン氏、開発は田原氏と日米共同で「質実剛健」のテーマのもと制作が進められたそうだ。当時の技術者はおらず、回路図の不正確な部分もあり開発には苦労もあったという。
だが開発にあたっては、創業者の理念が背景にあった。田原氏が「ローランドでは長くアナログ回路はタブー視されてきた」と紹介したとおり、「同じものは作らない」「常にクリエイトする」という梯氏の考えが社内に共有されており、過去の手法をそのまま持ち込むことには慎重だった。
しかし、市場ニーズや開発方針の変化、そしてTRシリーズを現代的に展開してきた流れもあって、今回あらためてアナログに取り組む環境が整った。そうした文脈の中で開発をまとめ上げたチームの“クリエイト”に拍手を贈りたい。これは世界の音楽シーンへ多大な恩恵を果たしながら、発売当時は十分なビジネス的リターンが得られなかった“失敗作”が新しく生まれ変わった瞬間でもある。
イベント最後は菊本氏が「相反するふたつのものを組み合わせることが新しいものに繋がる。古いものと新しいもの、右のものと左のものなど、それが極端であればあるほどいい」、星合氏が「機能がてんこもりな『TR-1000』の変なところを見つけて“目的外使用”をしてくれたら、面白いことにつながるのでは」とメッセージ。田原氏も「開発者が想像できなかったような使い方を期待してます」と語って場を締めた。
ある意味で何でもできる機能てんこ盛りの『TR-1000』で、どのような音楽ができるのかは開発者でさえも未知数。これまでの『TRシリーズ』が数多の名曲を生んだように、この新作の価値はこれを使うクリエイターたちのクリエイティビティに委ねられている。
◾️参考文献
https://www.rolandstoretokyo.com/pages/2ndanniv
https://www.roland.com/jp/promos/gakuya/article-270/
https://www.roland.com/jp/promos/gakuya/backnumber/bn_20180713/