平野啓一郎×バーチャル美少女ねむが語り合う「分人とメタバース」 2つのキーワードから人類の進化の“その先”に迫る

社会の統合圧力へのカウンターとしての分人

ねむ:平野さんの作品には、分人同士の関係性や、複数の分人が恋愛にどう向き合うかが描かれていますよね。いまのメタバースでは、それが日常的に起きています。

 たとえば現実では中年男性でも、バーチャルでは美少女キャラとして活動している人がいて、美少女同士で恋愛が始まったとき、「好きになったのは中の人なのか、キャラクターなのか?」という問いが生まれます。

 メタバースではアバターや名前を自分で設定するので、ゼロからアイデンティティを設計できます。平野さんの作品では、分人が相互理解・自己理解のツールとして登場しますが、もっとプロアクティブに「自分をデザインする」ツールとしての発展もあると思うんです。この見方、どう思われますか?

平野:おっしゃる通り、外見――特に顔は、分人化に対する“統合圧力”の要になりがちです。人間は分人化していく一方で、国家・企業・社会の管理の観点では、分人化が進むほど統治が難しくなる。だから最終的に「個人」という一つの主体に統合して把握しようとする力が働きます。実際、多くの制度は顔認証や指紋、虹彩、声紋、電話番号、パスポート、身分証明書といった公文書とフィジカルな情報とを結びつけ、分化した存在を再び個人へと束ね直す構造になっています。

 その点、バーチャル空間は外見や声、生体情報の束縛から部分的に解放され、新たな自分になれる。統合圧力から逃れる術がある、というのが大きいですね。

ねむ:具体的にはマイナンバーのような制度ですよね。

平野:そうです。犯罪が起きた場合でも、最終的には責任主体を一人に統合していく圧力が発生します。

 例えば、ある平凡な人間として生きている人が、ある分人で何らかの犯罪を犯した場合、そのままでは主体がバラバラなので捜査は困難です。しかし、防犯カメラ映像や各種認証で結びつけられれば、ばらばらの分人を同一人物として扱えます。

 ソーシャルメディアでも、分化・匿名化した存在が極端に増えると、問題発生時の管理は困難です。だから、電話番号やIPアドレスを人に結びつけ、システムを安定させることができる――これが、今の社会における制度設計です。

 つまり、どれだけ分人化しても社会制度には「個人」として回収されるし、限界はあります。ただコミュニケーションの次元では、外見も声も一から選び直し、ゼロから自分を選択できる自由は画期的だと思います。

 一方で、バーチャル空間での経済活動が大きくなると、税務などは結局フィジカルなアイデンティティに紐づけられるでしょう。ここは国家が個人へ“引き戻す”次元が残ると思います。

ねむ:法的責任の話になると、分人としての切り分けは通りませんよね。国家は「誰が責任を負うのか」を一本化したいから、管理しやすい統合を求めるはずです。

平野:近代以降の社会制度は、分けようのない個人を基礎に成り立っていますからね。ダイナミックに変化し続ける分人を把握しながら、システムを安定させるのは難しいので、登録ベースの管理はしばらく続くはずです。新たなシステムを作る動きは、将来生じるかもしれませんが。

ねむ:私はその仕組みを根本的に変えるべきだと思っています。というのも、「バーチャル美少女ねむ」として活動するのは、現行制度の下では非常に難しいからです。そして、私は本の出版といった匿名でも認められやすい社会的活動がある分まだましですが、一般の人がバーチャルキャラクターで経済活動をするのはハードルが高すぎます。

 解決策は一つ。分人が稼ぐしかないです。分人単位の活動が実際に経済に寄与することを証明できれば、社会も政府も「では制度を作ろう」となるはずですよね。私のように、メタバースで完全に独立したアバターとしての分人を作り、社会参画する人の事例が増えれば、いずれ制度設計が進むはずだと考えています。

平野:おっしゃることは非常にわかります。一方で、国境をまたぐ選挙干渉やフェイクニュース、移民・難民問題などを背景に、むしろ国家が「一なる個人」に同一化して管理しようとする圧力はますます強くなっています。社会はこの10年で私達の想定と違う方向に進みました。

 私も海外で暮らしていて、国境を越える時にはパスポートに紐づいた人間であるか厳格な管理が発生しますし、家を借りる際にも同様に同一性の証明が求められます。ネットが国境を越えることへの警戒が高まるほど、フィジカル主体への紐付けは反動的に強化されるでしょう。

 とはいえ、バーチャルでの分人化と経済活動の拡大は間違いなく進むはずです。その二つの力が拮抗する未来を予感しています。

ねむ:つまり、分人になりたい私たちと、人々を「個人」に押し戻したい国家との対立が、これから可視化されていくかもしれないですね。

平野:分散が進めば統合圧力が強まり、統合が強まれば分散への欲求が高まる。シーソーゲームのような綱引きが、かなり長く続く気がします。

ねむ:その綱引きをチャンスと捉えると、日本には追い風かもしれません。分人の話を海外にすると驚かれがちですが、多神教の世界で生きてきた日本人は、いろいろな神様を受け入れてきた経験から、比較的すっと理解できるからです。

 VTuberという概念も日本発ですし、ここは日本がリードできる分野だと思います。政府にも乗ってもらい、分人経済のシステムを全世界でいち早く確立して日本の経済規模をたとえば30%アップさせることができたとする。そしてそれを海外に輸出してみせることで、「分人経済先進国」としてすごく面白い未来が作れると思うんです。

平野:その発展には私も興味があります。ちなみに、海外で分人の話をするとき、ピンときていない人には「ソーシャルメディアの使い分け」を例に出すと理解が進みますね。

「友人向けのTikTokやインスタを、職場の上司に勝手にフォローされたら嫌ですよね?」

 そう言うと、みんな頷きます。つまり、ソーシャルメディアごとの分人化は、多くの人が無意識に理解して実践しているし、分人の境界を侵されると困るという感覚も共有されているんですよね。

日本で分人が受け入れられる土壌は歌舞伎とコスプレにあり

平野:さらに言えば、日本には歌舞伎の女方のように、男性が女性を演じる伝統もあります。高齢の男性役者が女性を演じることだってありますから。バーチャルとの関係性について、様々な文化的蓄積として、日本が分人を世界に説明しやすい土壌は整っていると思います。ただ、その歴史性の説明は、慎重であるべきだとは思いますが。

ねむ:VTuberを歌舞伎などの“性別を超えた表現”の系譜と結びつけて研究する人は多いですね。私も延長線上にある概念だと思います。例えば世界一「可愛い動き」が得意なおじさんがいても現実では活かせる場面は少ないけれど、メタバースでは美少女キャラになってその技能で人気者になれるんですよ。日本では、可愛さを作る技術を、職人技として素直に評価する土壌があります。

 一方で、たとえばアメリカではマッチョイズムが根強く、可愛さへの評価は表立って言いづらい空気もあります。様々な国のメタバース住人を調査していると、日本では“普通の人”が当たり前に違う自分になっているのに対し、海外ではLGBT当事者など覚悟を持って臨む人の比率が高く、一般層はプライバシー分離まではしても、別人格/分人の創造までは行かない傾向があります。そうした感覚の違いもあり、分人への解像度はやはり日本のほうが高そうです。

平野:もう一つの事例として、コスプレ文化が挙げられます。学校や職場の自分ではない自分になれる歓びは、日本で芽生えた後、世界中に広まりましたよね。アニメでも、声優本人のイメージとキャラクター像が一致しないのは普通で、誰が声を当てているか知りつつもキャラクターとして受け止める文化が根付いています。これは歌舞伎よりも直接的に、現在のメタバース空間で起きていることに通じる、日本的な現象だと思います。男の子のキャラクターの声優が成人女性だったり。

 大事なことですが、新しいことは、最初は伝わりません。だからこそ、新しいことで誰かが勝手に盛り上がるのが一番いいんです。分人の概念も、今でこそ教科書に載るほど浸透しましたが、当初はピンと来ない反応が多かった。それでも「この考えに救われた」という人が増え、じわじわ広がっていきました。

 そして、私などが概念を説明するより、VTuberのような具体的な実践のほうが、いずれキャズムを越えて一気に理解されるはずです。今はちょうど、その手前にいる気がします。

ねむ:確かに、エンタメとしてのVTuberはすでに海外への輸出に成功しし、新たな常識として根付いて、市場も爆発的に拡大中です。エンタメと接続すると物事はわかりやすくなりますし、そこから少しずつ人々の意識が変わっていくのかもしれません。

バーチャル美少女ねむ × 崎村夏彦が語る、メタバース上での「分人とアイデンティティ」が実現する未来

本特集では、実際にメタバースに生きる“メタバース原住民”である「バーチャル美少女ねむ」が、各種先端分野の有識者との対談を通じて、…

関連記事