平野啓一郎×バーチャル美少女ねむが語り合う「分人とメタバース」 2つのキーワードから人類の進化の“その先”に迫る

作家はVTuber/バーチャルの先行概念だった?

ねむ:先程の質問をしたのは、メタバースの住人には、わりとプロアクティブに自分を作っている人が多いと感じるからです。

 私自身、現実では普通に働く社会人ですが、それとは違う自分がほしくて、「いっそのこと美少女アイドルになろう」と始めたのが「バーチャル美少女ねむ」でした。私のファンにも、変わりたい自分の像を意識的に持っている人が多いと思います。

 ただそれは、後から可能になった発想でもありますよね。平野さんが分人主義を提案された当時は、アバターやSNSが、いまのように“新しい自分を作るシステム”として発達していなかったはずなので、ご自身で導き出されたことはすごいことだと思います。

平野:インターネットがなくても、人は日常のコミュニケーションの中で自然と分人化していたと思います。そこへテクノロジーが強力なブーストをかけ、可能性を一気に押し広げたのだと考えています。

 私個人で言えば、小説家という仕事自体が、現実の日常からすこし浮いた、ある種の“バーチャル”な立場でもあることも起因しています。小説家として公に語る自分がいる一方で、大学時代の友人や子どもたちの前ではまったく違う自分になる。その切り替えは、実感として常にあります。

ねむ:たしかに作家は社会的にも特殊な存在ですよね。現実世界では本名でお金を稼ぐことが信用につながりがちですが、作家はペンネームという“バーチャルな名前”で、顔出しをせずとも作品という信用を蓄積でき、しかもそれが社会的に認められています。

 私がVTuberとして活動を始めた頃は、企業の取引先に「中の人の情報は外に出さないでください」と説明しても伝わりにくかったのですが、「ペンネームで活動する作家と同じ扱いで」と言うと理解してもらえることが増えました。

 そう考えると、作家はVTuberなどのバーチャル文化の先行概念だったのかもしれません。そう考えると、小説家である平野さんから分人の概念が出てきたのは、私としてはすごく納得できます。

平野:その点では、僕は中途半端で、少し失敗もしています。デビュー当時は、小説家の自分と私的な自分を完全に分けたくて、顔出しを一切しない“匿名小説家”でいたかったんです。謎の小説家がどこからともなく作品だけを届け、純粋に読まれる──そんな、少しコンセプチュアルな“パフォーマンスアート”として捉えていたんです。

 いまならアバターを使ってそういう存在になり、作品を発表することも現実的でしょうが、当時は難しかった。なにせペンネームを決めること一つとっても、自分に立派な名前を与えるのはどこか気恥ずかしくて。

ねむ:いまならVTuberとしてデビューする、あるいはアバターの匿名作家になることもできますよね。実際にやるなら、どんな自分を作ってみたいですか?

平野:性別を変えることには関心があります。以前、DJ RIOさん(REALITY 株式会社代表の荒木英士氏)と対談した際、可愛らしい女の子の姿でバーチャル空間を歩いていたら、いきなり胸を触ってくる人がいて、それが本当に身体に響くほど不快で、女性として生きる苦労を実感したという話をされていました。そういう話を聞くと、異なる性別でVTuber活動をするアイデアには興味があります。

 一つ質問なのですが、ねむさんはご自身のVTuber像を、性別も含めてどう設計したのですか?

ねむ:私自身は、現実の性別に違和感があるわけではなくて。ただ「現実の自分」への閉塞感をどこか感じていて、とにかく違う自分になりたかったんです。だから、「元気で活発な美少女」のイメージを選びました。“白黒逆転した自分”という発想で、バーチャル美少女ねむを組み立てています。ぜひ平野さんも「バーチャル美少女ケイ」にチャレンジして頂きたいです(笑)。

平野:“なりたい自分”の像と、“可愛いと思うイメージ”は一致していますか?

ねむ:ビジュアルの可愛さは、私の好みをバリバリ取り入れてますよ(笑)。でも、これが「なりたい自分」という言い方は、少しミスリーディングかもしれません。

 私はVTuberとしてはかなり例外的で、最初から確固たる像に一直線でなったわけではなく、試行錯誤の結果として“意外と自分に合う姿”を見つけたタイプなんです。デザインも当初からかなり変わっています。「もっとこうしたほうが自分にフィットするかも」と思って。つまり、最初から答えがあるのではなく、やってみないと分からない。そこが分人の良さだとも思います。

 そして、メタバースではいろいろな自分を試すことができます。現実は生まれ持った姿形や年齢、性別、立場がプリセットされていますが、それが本当に自分に合っているかは誰にも証明できない。メタバースならトライアンドエラーが可能なんです。

 そして私は、メタバースを空間・世界だけでなく、心の内側にある“自分の小宇宙”としても解釈しています。そこへ潜っていくほど「こんな自分もいた」「この姿も案外しっくりくる」というものに出会える。そんな内面探索と試行錯誤のプロセスが、メタバースなのかなと考えています。

平野:その過程で、外部の評判は気になりますか? 自分としてしっくり来るだけでなく、「この姿は反応がいい」とか、「いいねが多い」といった外部評価は影響しますか。

ねむ:影響します。私は「可愛いね」と言われると素直にその気になるタイプで(笑)。配信の中でファンの反応を見ながら、少しずつ自分を作ってきた感覚があります。

 だから、私一人で完結しているわけではなく、社会との関係の中で「バーチャル美少女ねむ」という存在が形づくられてきた、という実感が強いです。

平野:ソーシャルメディアでは複数アカウントを持つ人も多いですが、「ねむ」以外のアバターになることに興味はありますか?

ねむ:私は基本的に、「バーチャル美少女ねむ」として何でもやってしまうタイプなのですが、匿名のアカウントとアバターはいちおう持っています。ただ時間は有限で、現実の自分とねむ以外に何人もの分人を運用するのは現実的ではないです。せいぜい2〜3人が限界でしょう。

 一方で、有名なVTuberの方などは、『VRChat』で遊ぶ用の匿名アカウントを持っていることが多い印象です。私ですらメタバースの中で出歩くと目立ってしまうので、より有名な方ならなおさらなんです。そして実はVTuberに限らず、一般の有名人でも同じ事象が起きているんです。

 リアルの有名人は、現実では顔が知られているから、一般人として過ごすことはできませんよね。そうした方々が、メタバースで「匿名の一般人」として過ごしてみたいと何度か相談されたことがあります。

平野:分人化といっても、時間は限られています。結果的に、どの分人にどれだけ時間を割くか、どれを重要視するかは整理されてしまいますよね。

ねむ:活動を続けるほど社会とつながり、存在感も大きくなりますからね。だからこそ運用できる分人が2〜3人いて、それぞれに極端な個性をデザインすると使い分けやすくていい、というのが私の考えです。そして私は“現実ではできないことに挑戦するための分人”として「バーチャル美少女ねむ」を設計しています。

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