ゲームの元ネタを巡る旅 第18回

『都市伝説解体センター』が大ヒット 「都市伝説」とはどこから始まったのか……80年代の名著『消えるヒッチハイカー』を読む

 多種多様な販売形態の登場により、構造や文脈が複雑化し、より多くのユーザーを楽しませるようになってきたデジタルゲーム。本連載では、そんなゲームの下地になった作品・伝承・神話・出来事などを追いかけ、多角的な視点からゲームを掘り下げようという企画だ。企画の性質上、ゲームのストーリーや設定に関するネタバレが登場する可能性があるので、その点はご了承願いたい。

 第18回は『都市伝説解体センター』の発売を記念して、“都市伝説”という語を世に知らしめた書籍『消えるヒッチハイカー:都市の想像力のアメリカ』を読む。

 『消えるヒッチハイカー:都市の想像力のアメリカ』は1981年にジャン・ハロルド・ブルンヴァンによって書かれた本だ。1988年に大月隆寛・菅谷裕子・重信幸彦らによって訳され、この本がきっかけで本邦でも都市伝説という語が定着していった(正確には、学者たちのあいだではブルンヴァン以前からurban legendという語が用いられていたが、“都市伝説”という日本語に訳されたのは本書が初めてである)。

 本書は80年代の刊行のため、現在の都市伝説観とはそぐわない話も登場するが、そこも含めて「都市伝説」というものがどういう発展をしてきたかを知ることができると思い、紹介させていただく。

ジャン・ハロルド・ブルンヴァン

 そもそも都市伝説とはどういうものかというと、一般人のあいだで語られ、信じられている出所が明確でない噂話全般を指す。ブルンヴァンはより詳細に、大昔から老人たちのあいだで語られているフォークロア(昔話)とは区別し、現代を生きる都市生活者の若者たちのあいだで語られる(彼らの触れる文化や商品をモチーフにした)話を都市伝説だと定義した。

 たとえば、西部開拓時代を持ち出し「わたしのおばあさんが若かったころ……」という導入で始まる昔話はあくまで昔話であり、都市伝説ではない。後述する「ボーイフレンドの死」や「消えるヒッチハイカー」といった話などを読めばわかる通り、都市伝説というのは語り手と語られている登場人物が皆同じ年代を生きており、話を聞いた先も友人の友人といった具合に距離が近いという特徴を持っている。

 では実際に当時のアメリカで語られていた都市伝説と、その伝播について読んでいこう。まず紹介されていたのが「ボーイフレンドの死」という都市伝説だ。この話は1964年に、民俗学者のダニエル・R・バーンズがカンザスの大学生から収集したものである。

 59号ハイウェイからホリデイ・イン(アメリカのモーテル)に別れる通りで、カップルの乗る車が一本の木の下で停まってしまう。彼氏が彼女に待っているように伝え、彼氏はホリデイ・インに助けを求めに行った。そのあいだ「ズリッ、ズリッ……」という何かが擦れる音がする。彼女が気味が悪くなってきたところで、他の人物がやってきて彼女を車から降ろした。ここで彼女は、その物音が首吊りをした彼氏の足が車の屋根に擦れる音だったと気づいた……という都市伝説だ。

 都市伝説は人から人に伝播されるうちに、いろいろなバリエーションを得ることになる。鉤手の殺人鬼が現れたり、警官に注意されるくだりが入ったりといった具合だ。

 ここで注目したいのは地域性だ。もともとの話はカンザスが舞台ということで、59号ハイウェイという場所が登場するし、ニューオーリンズのバージョンではグランチというその土地で信じられている怪物がマッシュアップされている。ゆえに、カンザスで飽きられても、別の土地で似たような話が流行り出すという若干のズレも見られる。

https://maps.app.goo.gl/4vV4SK8gqJu4EQUq9

 見慣れた土地や地域の名前が出てくるというもっともらしさが、都市伝説の面白い点である。また、同じような観点で、これが口述であるという点も重要だ。文章では伝わりにくいが「ズリッ、ズリッ……」という効果音は(まるで怪談を話すときのように)聞き手を怖がらせるための演出として機能している。

 詳細な土地や、身近な職業に就く人物の登場は、ニュース番組や事件記事のように正確だが、荒唐無稽な怪談であることには変わりない。このニュースが取りこぼしたような温度感にこそ、ティーンエイジャーたちの心を掴む秘訣があるのではないかと、筆者には感じられた。

 また、都市伝説はそのような性格があるがゆえに、当時の文化や商品がモチーフとして登場すると先述した。それはつまり世相を映しているという意味でもあり、事実この頃のアメリカの都市伝説には車が頻繁に登場する。

 安く買った車に死臭が残っている「死人の車」などの話や、ヒッチハイクしてきた少女が実は幽霊だった「消えるヒッチハイカー」など、枚挙に暇がない(「消えるヒッチハイカー」の話はなんとなく日本人でも聞いたことがあるだろうが、日本人が聞いたことのあるバージョンは、登場人物がタクシーの運転手などにすげ変わっている。一般人がヒッチハイカーを乗せることがあまりないからだろう)。

 ここにはやはり身近さが存在し、いわゆる「伝説」とは一線を画すポイントがここにある。

 若者の興味がある「高い車を安く買う」際に落とし穴があったり、カーセックスの最中に怪異に襲われたりと、基本的に話はすべて彼らの目線で語られる。彼らは学校でワシントン・アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」を読みはするが、それは活字として読まされるものであり、都市伝説と違って誰かに話してやることはないだろう、とブルンヴァンは指摘していた。

 また、子どもは元来怖い話を好むが、成長するに連れて興味関心が世間に向いていくとともに、好んで聞く怖い話も、自分にも降りかかるかもしれない落とし穴がある話にシフトしていく……とも指摘している。

 電子レンジのなかに動物を入れてしまう話や、大手フライドチキンチェーンはネズミの肉を使っているといった話など、都市化していく社会と、その時々の若者の興味が薄っすらと垣間見えるのが都市伝説の面白いところである。

 本書のむすびに「アメリカの都市伝説に観られる一連の人気のあるテーマは、時の流れに従って変化してゆく人々の関心や夢といったものの簡単なインデックスと考えることができる」とあり、これ以上ないほど都市伝説という語を簡潔に説明した一文だと感じた。

『ゴースト・オブ・ツシマ』から学ぶ元寇――2度にわたる元軍の侵攻と“神風伝説”

ゲームの下地になった作品・伝承・神話・出来事などを追いかけ、多角的な視点からゲームを掘り下げようという企画「ゲームの元ネタを巡る…

関連記事