ゲーム音楽は「作業用BGM」から「日常」へ 『Nintendo Music』が秘める可能性

『Nintendo Music』が秘める可能性

 10月31日、任天堂が同社のゲーム音楽を配信するiOS/Android用アプリ『Nintendo Music』の配信を開始した。同アプリは、Nintendo Switchのオンラインサービスである『Nintendo Switch Online』のメンバーであれば完全無料で利用できるようになっており、ファミリーコンピュータからNintendo Switchまでさまざまな名作の楽曲を、通常の音楽アプリと同様の感覚で楽しむことができる。現時点では、対象のソフトラインナップは約25本と限られているものの、ローンチ以降も『スーパーマリオブラザーズ ワンダー』や『スーパードンキーコング2』などが追加されており、今後も拡充が続いていきそうだ。

 すでにゲーム好きを中心に大きな話題となっている『Nintendo Music』だが、その最大のポイントは、「これまでストリーミングサービスで配信されていなかったり、あるいは入手自体が困難となっていた音源を、気軽に楽しむことができる」ということに尽きるだろう。

 近年の任天堂作品における音楽面におけるヒット作といえば、ライブイベントも積極的に開催されている「スプラトゥーン」シリーズが挙げられるが、同シリーズのサウンドトラック自体は発売されているものの、SpotifyやApple Musicといったストリーミングサービスでは配信されておらず、単体で聴きたい場合はCDを購入する必要があった。また、ゲーム音楽のなかでも特に名作として名高い「スーパードンキーコング」シリーズについては配信されていないことに加えてCDがプレミア化しており、本稿執筆時点で『スーパードンキーコング』のサウンドトラックの中古価格は約2~3万円、『スーパードンキーコング2』に至っては約25万円もの値段で取引されている。また、クラブニンテンドーのプラチナ会員特典として配布された『トモダチコレクション』や、そもそもサントラ自体が存在しない『nintendogs』といった例もある。

 こうした状況はおおむね他の作品においても共通しており、これまでゲーム音楽をめぐっては、(任天堂作品に限らず)動画サイトなどに違法にアップロードされた音源を聴くという行為が常態化していたのが実情である。詳細な言及は避けるが、『Nintendo Music』で配信されている楽曲には、動画サイトで数十万、あるいは数百万再生を記録しているものが珍しくない。アプリにおける収益のメカニズムはいまのところ不明だが、誰もが公式かつ合法的な手段で聴くことができるようになり、(少なくとも任天堂には)利益が生まれる状態になることの意義は極めて大きい(とはいえ、個人的にはストリーミングサービスにも提供してほしいとは思う)。

 ひとりのゲーム音楽好きとしても、フルオーケストラによる贅沢でアップリフティングな演奏が楽しめる『マリオカート8 デラックス』や『スーパーマリオギャラクシー』、緊張感に満ちたSFホラー・アンビエントに浸ることのできる『メトロイドプライム』、いまでは一大ジャンルへと発展したチップチューンの源流でもあるゲームボーイ作品のなかでも、特に印象的なサウンドトラックを誇る『ドクターマリオ』など、それぞれの時代を彩ってきた名作群を楽しめるのはうれしい限りだ。音楽批評の分野において、ゲーム音楽はその影響力の大きさに対して、どうしても軽視されてきたのではという印象が否めないこともあり、これを機により多くの人々がその世界に触れることを強く願っている。

 ここまでは一般的な音楽サービスと同様の目線でまとめてきたが、実は『Nintendo Music』の最も興味深いところは別の部分にある。ラインナップや独自の機能、Webサイトなどから分かるのは、同アプリがゲーム音楽を“生活の中に取り入れる”ことを積極的に促そうとしているということだ。

 『Nintendo Music』を最も象徴する機能は、(一部の楽曲で利用できる)「ながさチェンジ」だろう。「15分・30分・60分」の中から指定した長さだけ、原曲を途切れることなく再生できる同機能は、(例外はあるが)ループ再生を前提としたうえで制作されるゲーム音楽ならではのものだ。近年では「lofi hip hop radio – beats to relax/study to」を筆頭に、「作業用BGM」としてとりあえず動画サイト経由で音楽をかけっぱなしにしておくという文化が定着しており、「1hour」や「10 hours」と冠した、記載の時間だけ楽曲やプレイリストをループする動画も数多く存在しているが、実はここでもゲーム音楽が活躍しており、(まさに「スーパードンキーコング」シリーズなど)さまざまな楽曲が、すでに「作業用BGM」として親しまれている土壌がある。

 ゲーム音楽の多くは、プレイヤーがゲームプレイに集中できるように、音楽に完全に意識が持っていかれることがないことを前提に制作される。「作業用BGM」としての活用は、そうしたゲーム音楽ならではの特性から生まれた、あくまで副次的なものだが、「Nintedo Music」はそこに着目したというわけだ(余談だが、本稿も実際に『Nintendo Music』で『メトロイドプライム』の「フリゲートオルフェオン」のループを聴きながら書いている)。これは、まさにゲーム音楽に特化したストリーミングサービスだからこそ実現できるものである。

 そうした生活的な側面は、ローンチ時点の配信ラインナップからも感じ取ることができるのではないだろうか。任天堂を代表する名作と並んで、(より有名で未配信の作品が数え切れないほど存在するにも関わらず)『Wiiチャンネル』や『トモダチコレクション』、『nintendogs』といった意外なタイトルが選ばれているのは、本アプリが「ながら聴き」を前提としていることの表れだろう。これらのタイトルにおけるゲーム音楽は、“ゲーム内における日常”を彩ることを目的として制作されたものだが、『Nintendo Music』は、それを“現実の日常”へと発展させようとしているのだ。

 さまざまな可能性を感じさせる『Nintendo Music』だが、現時点ではローンチされたばかりということもあり、使っていて感じる課題も少なくない。真っ先に気になるのはラインナップが物足りないということだが、これは時間が解決してくれると信じたい(個人的には「F-ZERO」シリーズや「メイドインワリオ」シリーズを追加してほしい)。また、作曲者や編曲者の記載が一切存在しないのは、極めて重大な問題である。クリエイターへのリスペクトが感じられないという印象を与えるのと、単純に情報として不足しているため、なるべく早めに対応してほしい。将来的には作曲者ごとにソーティングしたり、プレイリストが用意されたりするようになれば、きっとこれまで以上にクリエイターが正当な評価が得られるという状況へとつながっていくはずだ。

 こうした問題が解決されていけば、もしかしたら近い将来、普段ゲームをプレイしないような層を含むたくさんの人々が『Nintendo Music』を日常のなかで活用しているという光景が一般的になっているかもしれない。それは、一人のゲーム/ゲーム音楽好きとして、これ以上ないほどうれしいものだ。今後の動きにも注目していきたい。

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