「番組のサビは『結論』じゃなくて『脱線』」 『奇奇怪怪』TaiTan×玉置周啓が語る“面白くてキモくないコンテンツの作り方”
Dos Monosのラッパー・TaiTanと、MONO NO AWAREのフロントマン・玉置周啓によるポッドキャスト番組「奇奇怪怪明解事典」。「JAPAN PODCAST AWARDS 2020」Spotify NEXT クリエイター賞の受賞を皮切りに、書籍化、アニメ化、さらには地上波への進出と、その活動の幅を広げてきた。
2023年5月には番組名を『奇奇怪怪』とリニューアル。さらに8月には書籍化・第弐集『奇奇怪怪』を刊行。書籍内に掲載される広告をリスナーから公募するなど、ポッドキャスト発の書籍ならではの本の作り方にも注目が集まっている。レッドオーシャン化が進むポッドキャストの世界において、ほかとは一線を画すコンテンツを送り出しつ続けるパーソナリティの2人は、ここから何を目指すのか。これまでの歩みから、今後の戦略までをじっくりと聞いた。
玉置を誘った理由は言葉の使い方が、とにかく妙ちくりんだったから
――改めて番組をはじめたきっかけを教えてください。
TaiTan:コロナ禍で音楽活動がストップしたことが直接的なきっかけで。時間が丸っと空いたので、じゃあ何か新しいことでもはじめよっか、みたいな。それで周啓くんを誘った形ですね。
玉置:というか俺もやろうと思ってたからね、誘われなくても。
TaiTan:提案に乗っかったわけじゃなくて、ひとりでもはじめてたんだっていうスタンスなんで、周啓くんは。この話は常に平行線をたどるんですけど。
玉置:自分の周りでもポッドキャストをはじめた人が結構いたんですよ。それに感化された部分もありました。あの時期って、SNSが相互監視の場みたいになってたじゃないですか。そこでのコミュニケーションに辟易としていたときに、ポッドキャストをはじめた友人が好き放題に喋っているのを聴いて。喋りたいことを屈託なく喋れてるっていうのが、それだけで羨ましかったんです。
――そんな絶妙のタイミングでお誘いがあったんですね。TaiTanさんは、どうして玉置さんに声をかけたんですか?
TaiTan:言葉の使い方が突き抜けて奇妙だったんですよ。彼の言葉の運用の仕方は、いわゆる芸人的なそれではないんだけど、よくわからない面白さがある。そのストレンジ性というか、妙ちきりんさというか。こういうやつと喋ったらオモロイだろうなっていうのは思ってましたね。
玉置:それでいうとTaiTanの言葉は、重たいというか。教訓めいてるという意味じゃなくて、たとえば文章でも彼の書くものって漢字が多くて、多分ひらがなを使わないっていうコンセプトで文章を書いてるんだと思うんですけど。そういう堅い口調のときもあれば、クソみたいな冗談を言うこともある。そんな話し方をする人は周りにあまりいなかったので、僕からすると刺激的でした。
――番組のコンセプトは、2人で固めていったんですか?
TaiTan:LINEで2人で話ながらって感じですね。人々がうっすら気にしている森羅万象すべてを「怪奇現象」と捉えて喋ってみようっていう。みんなが気になっている「なんで世の中こうなってんの?」みたいな事象を「なんか怖くね?」という視点で考えてみて、それを一冊の事典としてまとめていこうぜ、みたいな。そうすればこの時代の空気感をパッケージングできるんじゃないかと。当初はそんなコンセプトでした。ただ最近は、事典というコンセプトがちょっと重たくも感じていて。番組名を『奇奇怪怪明解事典』から『奇奇怪怪』にリニューアルしたのは、そんな理由もあります。
この番組のサビは「結論」じゃなくて「脱線」なんで
――ポッドキャストというメディアを選んだ理由について、もう少し詳しく教えてください。
TaiTan:「覆面性」と「編集権の独立」と、あとは「尺を気にしなくていい」っていう三つのポイントがあると思っていて。YouTubeとかでツラをさらしながらガリガリ活動していくっていうのが、そもそも性に合わないっていうのがひとつ。自分たちに編集権があるっていうのもすごく大事で、言ってしまえば編集こそがオリジナリティを担保するものだと思うんですよ。だからその権利はしっかり握っておきたかった。その上で、あらゆるコンテンツがショート化していくなかで、長ったらしい話を長ったらしく喋れるメディアとして思いつくのが、ポッドキャストしかなかったんです。
――どの要素も『奇奇怪怪』らしさに深く関わる重要なポイントに思えます。
TaiTan:この番組のサビって、議論の結論めいた部分にはないと思うんですよ。話の蛇行性というか、どこまで脱線できるかっていうスリリングさに比重が置かれているコンテンツだと思うので。そういのって他人に編集権が渡っていたり、視聴者の離脱率とシビアに向き合わざるを得ないYouTubeのようなメディアだったりすると、やっぱり成立しづらいのかなって。あとはポッドキャストを選んだ四つ目の理由を強いてあげるなら、僕がめちゃくちゃラジオカルチャーに親しんできた人間だから、というのはあるのかもしれません。