ふたたび輝くValensiaの美旋律――『Air Twister』を彩る、絢爛たるシンフォニック・ポップ

『Air Twister』を彩る楽曲たち

 今年6月24日よりApple Arcadeで配信中の『Air Twister』は、セガ在籍時代に『ハングオン』『スペースハリアー』『アウトラン』『バーチャレーシング』『バーチャファイター』『シェンムー』などを手がけた鈴木裕が代表を務める、YS NETの開発による3Dシューティング。『スペースハリアー』を彷彿とさせるクラシックなアーケードスタイルをベースに、現在の技術でアプローチした独立作品である。

【公式】【Apple Arcade】Air Twister | PV

 謎の敵の侵略で滅びの危機にある星を舞台としたSFファンタジーな世界観で展開される『Air Twister』のムードを華やかに形作るキーパーソンが、同作に楽曲を提供したオランダのマルチミュージシャン・Valensiaだ。

 Valensiaのゲームプロジェクト参画はキャリア初の出来事であり、Valensiaファンの筆者にとっても青天の霹靂となるニュースだった。Game Rantが鈴木に行ったインタビューによると、もともとYESなどのプログレッシヴ・ロック・サウンドを好み、また長年にわたってValensiaの音楽性に魅了されていた鈴木は、自身が改めてファンタジー系のプロジェクトを手がける際はValensiaを起用したいと思い描いていたという。

 SNSを通じてオファーし、Valensiaもゲームの幻想的な世界観を気に入ったことで、伝説的ゲームクリエイターとオランダが誇る才人のタッグが実現した。2023年でデビュー30周年を迎えるValensiaだが、2度の音楽活動休止など、これまで辿ってきた道のりは決して順風満帆なものではなかった。そこで『Air Twister』の音楽について触れる前に、Valensiaのこれまでの活動を追っていきたい。

 1971年にオランダ人の母とインドネシア人の父の間に生まれたValensiaことアルダス・バイロン・ヴァレンシア・クラークソンは、幼少期をオランダとスペインを行き来しながら過ごし、自然と音楽に慣れ親しんでいった。9歳のころにスペインの音楽関係者からデビューのオファーを受けた(ただし、時期尚早と両親が判断したことによりこの話は立ち消えとなる)ということも、早熟の才をうかがわせるエピソードだ。

 ラジオから流れてきたTHE BEATLES、QUEEN、Kate Bush、DURAN DURANなどのポップソングに魅了され、特にQUEENは後の音楽性を決定づける大きな存在となってゆく。入学を機にオランダへ定住し、16歳のころに4トラックのカセットレコーダーを手に入れたValensiaはデモテープを制作しはじめ、1987年には友人たちと結成したロック・バンド、MISTRESSで活動している(当時に書かれた楽曲「The Way of Romana」は、1994年の暮れに日本限定で発売されたミニアルバム『White Album』に「July July(The Ex)」とタイトルを改めて収録された)。その過程で自らの音楽性の核を見出し、磨きをかけてゆく。

 

 やがて、デモテープがプロデューサー/スタジオエンジニアのジョン・ソンネヴェルドの耳にとまり、1992年の末にレコード契約を獲得。当時の〈オランダ・フォノグラム〉(現:ユニバーサル・ミュージック)が、新人としては創立以来の巨費を投じたアーティストとなる。1993年に1stシングルとなる、シンフォニック・ポップ・ソング『Gaia』でメジャーデビューを果たした。

 同曲は、オランダのヘヴィ・メタル・バンドであるVENGEANCE(Valensiaは17歳のころにバンドのオーディションに参加している)で当時活動していたヤン・ビルスマとアルイエン・アンソニー・ルカッセンから8トラックレコーダーを借り受け、試行錯誤の末に生み出された一曲であった。

 ドラムス、ホーン、ストリングス以外のすべての楽器と全作編曲をValensiaがこなし、ソンネヴェルドとピム・クープマン(プログレッシヴ・ロック・バンド KAYAKのドラマーとしても知られる)のプロデュースのもとに制作された1994年発表の1stアルバム『Valensia』(邦題『ガイア』)はオランダで長期的なヒットに。

 世界各国でもリリースされ、QUEEN、Kate Bush、SPARKSに通じる巧みなヴォーカル/コーラスワークに、レゲエ、ワルツ、ヒップホップ、オペラの要素をキャッチーに落とし込む類まれなセンスで衝撃をもたらした。

 また、本国以上に盛り上がりを見せたのが日本であり、ラジオのエアプレイが引き金となって人気に火が付き、10万枚を超えるセールスを記録。ソンネヴェルドとクープマンが引き続きプロデュースを手がけ、さらなる巨費を投じて制作された1996年発表の第2作『Valensia II』(邦題『K.O.S.M.O.S. 遥かGAIA(地球)を離れて~ヴァレンシアII』)ではシンフォニックバラードに比重を置いた堂々たる内容を展開、こちらもヒット作となった。この頃、Valensiaはオランダからスペインへと移住する。

 

 望外のデビューを飾ったValensiaだが、その後は自身の作風と現実の音楽シーンの距離感に葛藤し続けることとなる。Valensiaとソンネヴェルドの共同プロデュースによる1998年発表の第3作『V III』(※1)は、周囲の要請により同時代のロック/ポップスのトレンドに寄せた楽曲が多くなり、練りこまれたアレンジで魅せるValensiaの持ち味がいささか減じた形となったことは否めない。

 また、同作は日本ではリリースされたが、オランダではリリースが見送られている。ほどなくして、同郷のマルチミュージシャン、ロビー・ヴァレンタインから連絡を受けたことを契機としてユニット「V(VALENSIA/VALENTINE)」を始動させ、1999年にデビューアルバムを発表。2人の音楽的ルーツであるBEATLESやQUEENのエッセンスを散りばめたストレートな内容に仕上がっており、同作を引っ提げての日本公演も実現している(その後、2002年にV名義での第2作『VALENTINE vs VALENSIA』が発表された)。

 

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