【ネタバレあり】『エルデンリング』と『ゲーム・オブ・スローンズ』に通ずる、ジョージ・R・R・マーティンの強烈な“作家性”を考える

『ELDEN RING』と『GoT』の共通点

コラボレーションを通して再び描かれる「滅び」と、ある問いかけについて

 『Demon’s Souls』(2009年)以降のフロム・ソフトウェア作品では、プレイヤーの行動に応じたマルチ・エンディングが用意されているのが通例となっている。興味深いのは、『Demon’s Souls』、『DARK SOULS』シリーズ、『Bloodborne』、『SEKIRO』(2019年)の全ての作品において、「自らが与えられた使命に従うか、それとも抗うか」という選択が分岐のポイントとなっていることだ。『ウィッチャー』や『Fallout』、『Dragon Age』など、他のマルチ・エンディングを採用しているRPG作品の多くがハッピー/バッドエンディングを描いたり、自由度の高さから生まれる結末の幅広さに重きを置いているのに対して、フロム・ソフトウェア作品におけるマルチ・エンディングの存在は、ある種の一貫した美学に基づいたものであるかのように感じられる。

 『ELDEN RING』における「使命」とは、“大いなる意思”によって与えられた、「狭間の地の王となり、エルデンリングを修復し、崩壊した世界を元に戻す」ことを意味する。(詳細は省くが)本作ではエンディングを迎えるにあたって、これまでの作品よりも遥かに多くの選択肢が用意されているが、それは前述の物語の構造と、これまでのフロム・ソフトウェア作品の在り方を踏まえれば、当然のことだと言えるだろう。ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』では、複数の主要人物がそれぞれの思惑や目的を持って行動しているが故に、その結末を巡ってはかつてないほどの賛否両論が巻き起こったが、『ELDEN RING』ではあくまでプレイヤーに決定権が委ねられる。それは、ゲームという媒体だからこそ実現することができる、極めて贅沢な体験なのではないだろうか。

 また、『Bloodborne』の項で挙げたような「滅びゆく存在」の持つ恐ろしさと美しさは、『ELDEN RING』においてもしっかりと受け継がれている。その象徴的な例は、マリカの子、デミゴッドの一人であり、プレイヤーの前にボスとして君臨する“星砕きのラダーン”だろう。かつては“狭間の地”における最強格の存在であり、“破砕戦争”を勝ち残った最後の一人として知られるラダーンだが、プレイヤーである“褪せ人”が本人の元を訪れる頃には、その姿は見る影もなく、ただひたすらに数多もの死体を食い尽くすだけの獣と化している。だが、それでもなお彼を慕い続ける多くの人々によって、あくまでも「一人の戦士」として葬送するための戦い、その名も“ラダーン祭り”が開催される。

 このイベントは『ELDEN RING』における名場面の一つとして、既に多くのプレイヤーの記憶に深く刻み込まれているだろうが、その要因としては、やはり宮崎氏自らが発案したというインパクト溢れるネーミング(※5)、そして史上初となる1対複数人による戦闘が大きい。だが、その根底にある「葬送」というコンセプトは、まさに滅びを描く上ではこれ以上ないほどの選択であり、何より、「理性を失った最強格の存在」を体現しきった絶望的な強さが、その恐ろしさを極限まで増幅させる。これもまた、共に「滅び」を描いてきたマーティンとフロム・ソフトウェアが組んだからこそ生まれた、新たな体験であると言えるのではないだろうか。

 ちなみに、「滅び」と言えば、宮崎氏は本作を象徴する“黄金樹”について、次のようにインタビューで語っていた(※4)。

「『ルールや秩序を表していながらも、絶対的ではないものとは何だろう?』。そのようなことを考えながら、私はこのイメージを創り上げていました。そこに木がうまくはまったんですね。何故なら、木は、生きていて、成長し、やがて枯れ、死にゆくものだからです。それは、秩序を与え、ルールを管理し、世界にその規則を強制するという役割に見事に合致しています。何故なら、これら(ルールや秩序)もまた、成長し、変化し、やがて枯れて死にゆくものだからです。なので、私はこの木(黄金樹)が視覚的にも、テーマの面においても、そうした要素に合致しているのではないかと感じています。ただ、これ以上何かを言うと、ネタバレになってしまいますね」(筆者訳)

 『ELDEN RING』の物語が始まった時点で、黄金律の台頭は既に過去の出来事と化している。仮に当時と同じことをもう一度やろうとしたところで、果たしてそれはうまくいくのだろうか? 過去の栄光や、かつては理想的だと思えた価値観や伝統にすがるうちに、何か失ってしまったものは無いだろうか? そもそも、それは本当に正しいものだったのだろうか? 滅びを目の当たりにして、絶対的な正解など存在しないのは分かった上で、私たちは一体何をするべきなのだろうか? 一体何を選ぶべきなのだろうか?

 このような問いかけは、これまでのフロム・ソフトウェア作品においても、マーティンの作品においても、繰り返し描かれてきたものだ。魔法やドラゴンが出てくるような壮大な世界観だからこそ、それでも決して避けることの出来ない「滅び」と、それに対峙する人々の姿に心を動かされてしまう。もし、『ELDEN RING』が、シンプルに今の王を倒し、新たな王になるというだけの作品だったとしたら、(それなりに評価はされたかもしれないが)ここまでの人気を誇る作品とはならなかったのではないだろうか。誰もが夢に見るような壮大な世界観と、滅びゆく生命の儚さの対比を容赦なく描いてきたクリエイターがタッグを組み、信仰/規範を巡って王家が崩壊へと向かっていく物語と、それによって支配された世界の緻密な描写が融合したことによって、『ELDEN RING』という至高のダーク・ファンタジー作品が誕生したのである。

※1:https://www.bandainamco.co.jp/files/ir/financialstatements/pdf/20220805_Presentation1.pdf
※2:https://www.famitsu.com/news/201906/10177669.html
※3:https://www.gameinformer.com/2022/01/28/george-rr-martin-may-be-shocked-to-see-what-his-elden-ring-characters-have-become
※4:EDGE - Issue 367, February 2022
※5:https://news.xbox.com/ja-jp/2022/05/26/elden-ring-interview/

©BANDAI NAMCO Entertainment Inc./©2022 FromSoftware,Inc.

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