“未知”を“既知”へと変えていく喜びに満ちたオープンワールド 『Horizon Forbidden West』レビュー
「未知」を「既知」へと変えていく体験
そして言わずもがな、本作はビデオゲームだ。プレイヤーが自分の意志で入力し、実際に世界に触れることができる。つまりこの、再誕した疑似地球をただ眺めて感心するばかりではなく、そこを実際に冒険できる。それは「未知」をただ「未知」のままではなく「既知」へと変えていく、ゲームならではの快感が存在する。
まず最初に挙げた自然についても。実際に手に取って採集することができる。有用な植物であれば採取して道具や薬に変え、断崖絶壁の岩も実際に登る。海であれば自由に泳いで構わないし、目を奪うような絶景をフォトモードで撮影することもできる。
新たな人類社会に関しても同様である。本作の舞台、「禁じられた西部」はなぜそう呼ばれるのかと言えば、アメリカ大陸西海岸の過酷な環境によって部族同士が緊張関係にあることに由来する。いまでこそ「シリコンバレー」など巨大IT企業の反映を謳歌する西海岸だが、元はといえば西岸砂漠として岩と砂ばかりで、人々は水すら求めて争い合っている。現在から想像もできない実にユニークな世界だ。
しかし、前作から一貫して、人間を愚かな「野蛮人」のように描いていないのも『Horizon Forbidden West』の魅力だ。冒頭こそ戦々恐々とするが、実際に西部へ渡り、人々の話を聞けば、彼らなりに独自の社会や文化を尊重して日々を賢明に生きていることがわかる。「未知」を「既知」へ変えることで、「偏見」が「尊重」に変わるのだ。
だがこの「未知」を「既知」へと変えていく最も大きな特徴は、やはり『Horizon Forbidden West』の「理解しがたい世界」の象徴ともいえる「機械獣」たちとの邂逅である。機械獣たちはいずれも、強化プラスチックや人工筋肉などで構築されているが、一方主人公アーロイたちの武装は弓やスリングショットなど極めてプリミティブな道具のみ。銃やレーザーなどは望むべくもない。
ではどうやってこんな些細な武装で機械獣たちと戦うのか。その鍵はアーロイが持つ機械「フォーカス」だ。旧文明で開発された「フォーカス」は、起動すると周囲の地形情報などを瞬時にスキャンできるだけでなく、機械獣をスキャンすれば、彼らの構造や弱点を明るみにしてくれる。たとえば、シカ型のグレイザーは背中の燃料タンクが弱点になっていて、ここであればアーロイの弓でも十分にダメージを与えられるほか、あらかじめ弱点を攻撃すれば無傷で素材として回収もできる。
本作はこの「フォーカス」を使って機械獣たちの弱点を探り、有効な武器を用意して弱点を狙う……という戦闘がとても楽しい。弱点は機械獣たちによってまったく異なるほか、弱点によってもダメージを与えるだけでなく、武器そのものを破壊して火力を削ぐことも、レーダーを破壊して混乱させることもできる。機械獣たちの攻撃もそれぞれまったくことなるため、これらを的確に見極め、その瞬間、瞬間にどの弱点なら狙えるかまで考えなければいけない。次第にプレイヤーは熟練の狩人となるだろう。
機械獣たちは、まさに本作の「理解できない世界」の「理解できなさ」の象徴だ。原始的な社会に、何故か最先端の機械がいる。しかも機械獣たちは本来、テラフォーミングのための人工物であるはずが、なぜか自らを自然の獣だと信じ込んでしまい、人間の道具どころかむしろ人間に反抗する。機械獣の造形は写実的ながら、その根本的な存在意義が不確かだ。
まるで押井守の映画『イノセンス』の世界だ。『イノセンス』では、作中のある人物が、パーシー・ビッシュ・シェリーの『ひばりに寄す』を引用しつつ、「神と人形、そして動物」について語るシーンがある。人間の持つ意識の限界に対し、人形と動物は「無意識の深い歓びに満ちている」点において、人間よりも神に近い。この上、デカルトの「動物機械論」に即して考えるなら、そもそも「機械であり、獣」という「機械獣」の存在は一種のトートロジーなのである。
本作ではこの「機械獣」という最も不可思議にして「未知」の存在を、プレイヤーはあらゆる手段で知ろうと試み、何度も接触し、そうして遂にはその支配権さえも得る。まさにこれはSF的大自然の「理解できなさ」を、プレイヤーの努力によって「理解できる」という状態に到達する唯一無二の達成感を引き出すものであり、これはまさに「理解できない世界」を舞台とする『Horizon Forbidden West』ならではの体験だと言える。