ジャスティン・ビーバーが示した、“手軽なメタバース”としてのオンラインライブ
このようなバーチャルならではの魅力を感じる一方で、今回のパフォーマンスでは現状の技術に対する様々な限界や懸念についても、同時に感じることができた。例えば、前述したような、コメントを表示したり、アイコンを贈るような演出については、空間がオブジェクトで埋め尽くされたり、処理に負担がかかることを防ぐためか、一度に表示される量に限りがあり、筆者がボタンをクリックした動きが実際の画面に反映されることは無かった。また、ボタンを連打してジャスティンにエネルギーを送るパートについても、メーターの増え方から推測するに、リアルタイムで集計しているわけではないのではと勘ぐってしまったのが正直なところである。
また、アバターについても、ユーザー側で容姿を決めることはできず、ランダムに選定されたであろうモデルの上にユーザー名が表示される程度に留められている。肌の色や性別については複数の種類が用意されているようだったが、あくまで複数個程度、という印象で細かなバリエーションはなく、ボディサイズや服装についても画一化されていた。これも恐らくはコスト面などを踏まえてのものだろうが、こういった部分の一つひとつがバーチャルの没入感を大きく損なう要因になってしまうため、非常に残念に感じてしまった。
だが、理想に追いついていないのは技術だけではないのかもしれない。それを印象付けたのは、今回のライブ・パフォーマンスにおいて現実世界の存在を強調していたという点である。例えば、パフォーマンス中、時折ワイプのような形でジャスティン・ビーバー本人が自身のモーション・キャプチャーを撮っている様子が映し出されるのだが、この映像によって「このバーチャル上のジャスティン・ビーバーは、ちゃんとジャスティン本人の動きを元にしたもの」であることが分かるような仕組みとなっている。
(ボーカロイドやVTuberといった、最初からバーチャルが前提の存在である場合はあまり問題にならないのだが)現実のアーティストがバーチャル・コンサートを実施する場合、「ファンは果たして、デジタル上のアバターに変換されたアーティストに対して、現実と同じように熱狂することができるのか?」という課題が付き纏う。今回の「撮影風景を見せる」という手法は、(やや強引であるとはいえ)ファンに対して、中身は本当にジャスティンであると見せることによって、安心してもらうという目的があったのではないだろうか。
また、現実世界の強調という点においてもう一つ印象的だったのは、ランダムに選ばれたであろう観客の実際の表情が、ウェブカメラを通してバーチャル・コンサートの背景に表示されるという演出が用意されていたことである。選ばれたファンの多くは喜びの表情を浮かべながら、画面に向かって手を振ったり、手でハートを作るといったリアクションを示しており、それ自体は非常に微笑ましかったのだが、これもまた、「自分自身がパフォーマンス、そしてこの空間の一部となっている」という感覚を強調する役割を果たしていると言えるだろう。アーティスト側、観客側、それぞれが「現実の姿」を出すことによって、バーチャル・ライブに”リアリティ”を与えているのだ。試み自体は、非常にポジティブなものなのだが、それは「完全にバーチャルで実施してしまうと、リアルに感じられないかもしれない」という不安の裏返しであるようにも感じられる。バーチャル・コンサートが完全に定着するためには、技術やコスト面でのハードルに加えて、こういった「バーチャルという存在への不安」といった心理的な障壁についても取り除く必要もあるのではないだろうか。
今回のジャスティン・ビーバーのバーチャル・コンサートと、『フォートナイト』上で開催されたアリアナ・グランデ等のバーチャル・コンサートを比較してしまうと、CGのクオリティや体験としての面白さ、友人同士でのコミュニケーションの在り方などの面で、どうしても後者に軍配が上がってしまう。また、バーチャルへの没入感という点であれば、TREKKIE TRAXといった日本を代表するダンス・ミュージックレーベル/クリエイター集団も進出しているプラットフォーム「VRChat」や、あるいは今年の5月にOculusによる協力のもとに実施されたポーター・ロビンソン主催のバーチャル・フェスティバル「Secret Sky」などの方がより強く「現実とは別の世界があり、そこに人々が集まっている」というメタバース的な感覚を味わえるだろう。
それらと比較した上で、今回のジャスティン・ビーバーのパフォーマンスが優れている点があるとすれば、それは「手軽さ」なのではないだろうか。『フォートナイト』のバーチャル・コンサートは、一つのゲームモードを新規に立ち上げるくらいの壮大なプロジェクトであり、誰もが簡単に実現できるものではないだろう。しかし、WAVE社が手掛けるバーチャル・コンサートはアバターやインタラクションの部分がシンプルであるが故に、流用が効くため、(実際にかかったコストが明らかになっているわけではないため、あくまで憶測だが)比較的コストを抑えて実現することができているのではないだろうか(実際、演出の多くはこれまでのWAVE社のバーチャル・コンサートと類似のものが使われていた)。
また、参加するために必要なデバイスもスマートフォンとPCまでに留められており、Oculus QuestやPlayStation VRといったVRグラスを用意する必要はない。(以前よりも遥かに導入ハードルは下がったとはいえ)まだまだVRが一般的に普及しているわけではない現状を踏まえると、特にジャスティン・ビーバーのような幅広いファン層を抱えるアーティストにとっては、この敷居の低さ自体が極めて重要なポイントになるだろう。むしろ、こちらの方が、少なくとも現時点ではバーチャル・ライブのスタンダードとして扱われるポテンシャルを持っているとすら言えるのではないだろうか。
今回のジャスティン・ビーバーによる「メタバース進出」を謳ったバーチャル・ライブは、あくまで現状の技術やコスト、そしてファン側の参加する上でのハードルを踏まえた上で、「アーティストとファンがバーチャルを通して同じ空間や行動を共有する」というメタバース的な体験を一つのカジュアルな形へと落とし込んだものであろう。とはいえ、そこにはこれまでの、ただ見ているだけの旧来のオンライン・ライブとは異なる、能動的に関わっていく面白さがあったのは確かであり、この体験自体がこれからのスタンダードになっていくのかもしれない。むしろ、今回のライブを通して感じた一つひとつの違和感がこれからどのように変わっていくのか(あるいは変わらないのか)、その未来が楽しみで仕方がない。
*1 https://about.fb.com/news/2021/09/building-the-metaverse-responsibly/