かつてデュエリストだった君たちへ 『Inscryption』レビュー

『Inscryption』をプレイすべき理由

 事実、ゲームは本当に「遊戯」ではなく「呪術」や「魔術」として行使されていたことが歴史上も明らかになっている。例えば、人類最古の盤上ゲームといわれる古代エジプトの「セネト」は、死後の運命を占う道具として、また護符として親しまれ、ツタンカーメン王の副葬品としても発見されている。サイコロやカードも、元々は占星術などに用いられた道具である。

 それこそ『遊☆戯☆王』(以下、遊戯王)において、現代日本の高校生が古代エジプトのものと見られる道具「千年パズル」を広い、ファラオと邂逅することでゲームの才能に目覚めていく過程、そしてゲームが「闇のゲーム」など人命さえかけた魔術的な力を秘めていくことも、この歴史を鑑みれば突拍子もない話でもなかった。

 まさに、いまわたしは遊戯王の「闇のゲーム」のようなものを強要されている。そう気づいた時、わたしは完全に『Inscryption』の虜になった。

 ここで少し、わたしの過去を語る時間をほしい。2000年代当時、『遊戯王』はアニメが夕方に放送されていたこともあって、小学校中の男子たちは次々に「デュエリスト」(遊戯王OCGのプレイヤーを作品内でこう呼ぶ)になっていった。中でもわたしはクラスでもっとも『遊戯王OCG』が強く、したがって同作における最強のモンスターを発見することに成功した。その最強のモンスターとは、「人造人間-サイコ・ショッカー」である。

 まず攻撃力をご覧いただきたい。「攻 2400」とある。攻撃力2400は、多分かなり高い。そして効果を見よう。「このカードがフィールド上で表になっている限り、 罠カードの発動と効果を無効にする。」これは間違いなく全カードの中で最も強い効果だろう。なぜなら私たちの死因の半分は罠カード「魔法の筒」か、もう半分は同じ罠カードの「聖なるバリア -ミラーフォース-」によるものだから、それらを事前に防げるというのは画期的に強い。極めつけに、このカードは生贄がたった1体でよい。これほどの性能で生贄が1体というのは、もはや調整ミスと言う他ない。

 『遊戯王OCG』を実際に遊んだ人は、この文章を読んで「この筆者は馬鹿だ」と思ったのだろう。笑わないでほしい、これは子どもの発想だったのだ。たしかにサイコ・ショッカーは強い。強いのだが、すでに「八咫烏」のようなもっと強いカードがいくらでもあったし、相性のいいカードなど存在も知らなかった。雑にサイコ・ショッカーを運用して勝てるのは、勝つための戦略などまるで存在しない子どもたちの間であり、わたしたちが夢中になったのは「遊戯王オフィシャルカードゲーム」ではなく「遊戯王アニメのごっこ遊び」だったのだと、今は理解できる。

 ただそれでも、わたしにとって「サイコ・ショッカー」は唯一無二の宝物であり、相棒だった。どの公園に行くにしろ、どの他人の家に上がり込むにしろ、わたしは「サイコ・ショッカー」の入ったデッキを肌見放さず持ち歩いたし、同級生と何度もデュエルをしては「サイコショッカー」に救われた。もちろんスリーブ(保護フィルム)も使わなかったので、金色に光る「人造人間-サイコ・ショッカー」の文字はみるみるうちに擦り切れ、みるも無残な姿になっていったのだが。

 「遊戯王のごっこ遊び」は決して競技的に上質なものではない。駆け引きもへったくれもなく、それどころか、「サイクロン」で「強欲の壺」を無効にできるなどとルールを読み間違えた解釈も頻繁にあった。それでも、ただカードをめくるたびに「俺のターン、ドロー!」と宣言することが、カードをプレイするたびに「俺は罠カードを仕掛けていたんだぜ!」と大げさに演技をすることが、敗北するたびに「うわあああー!」とのけぞってリアクションをすることが、楽しかった。

 あの時、わたしたちはたしかにデュエリストだった。傍から見れば、ごっこ遊びだったに違いない。けれど本気で、魂をかけたデュエルをしていたのだ。負ければカードに封印される程の覚悟で、デッキと呼ぶにもおこがましい紙束を生涯の仲間だと思って、ルールまでいい加減に理解していたけれど、1メートルと数十センチから見えた世界に、サイコ・ショッカーは誰よりも背が高かった。

残念ながら相棒のサイコ・ショッカーはどこかへ旅立っていた。代わりに、わたしが初めて親から一切の支援を受けずに勝ち取った成果をここで見せびらかそうと思う。当時の獲物はサピエントアークとジャギラを軸とするウェーブストライカー・デッキだった。

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