『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』が挑んだ「勇者」をめぐる問いへの回答と不可能性

『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』が挑んだ「勇者」をめぐる問いへの回答と不可能性

 『ドラクエⅪ』をプレイしていて、こんなことを考えたことがある。

 「この人(勇者)はなんでこんなに崇拝されていたのだっけ?」と。このような、フィクションに対する一見ばかばかしい疑問に、結果的に応答を示した形で生まれた名作が存在する。それは『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』だ。

 同作は当時ファミコンで発売されたゲームソフト『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』(1990年)のタイアップ企画として、1989年に「週刊少年ジャンプ」で連載が始まった。おおめだまやテラノバットといった『Ⅳ』のモンスターが登場したり、主人公の出生の秘密を知る占い師が登場したりと、ゲーム版の設定を織り交ぜながらも、オリジナルストーリーの「ドラクエ」としてできあがった作品だ。当時の「ジャンプ」のアンケートでは『ドラゴンボール』に次ぐ人気を博していたと、原作者の三条陸は述べている(三条陸 緊急インタビュー!!「『ダイの大冒険』はこうして誕生した!!」、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険 ダイVS大魔王 最終章!!⑤』集英社、2003年より)。まさに「ジャンプ黄金期」を支えた「ドラクエ・コミックの金字塔」である。

 しかし、ゲーム作品である『ドラゴンクエスト』を漫画表現に落とし込むには、当然壁が存在する。と言うのも、元々『ドラクエ』の作品としてのアドバンテージは、「自分の物語としてのファンタジー」の擬似体験を、それまでのRPGよりも徹底した形で表現していたところにあったからだ。(プレイヤーの分身とされる)主人公にはほぼ一切しゃべらせない演出、「自分の物語」を記録するためだけに存在する「ふっかつのじゅもん(ぼうけんのしょ)」というシステムなど、プレイヤーがゲーム内の世界に没入するためのしかけがいくつも施されていた。

 ところが漫画とはそもそもが「他人の物語」である。もちろん『ドラクエ』ほどのビッグタイトルならば、単に「他人の物語」として再現するだけでも十分作品として成り立つだろうし、実際『ダイの大冒険』以外にも成功している漫画作品は存在する。

 しかし『ダイの大冒険』には、「他人の物語」としての『ドラクエ』に、より深く没入させるためのある工夫が施されていた。(事実上の)もう一人の主人公として、ポップというキャラクターを誕生させたことだ。原作者の三条は「最初『ダイ』の原作を始めるにあたって、考えたのは、読者の興味を惹くためには、読者との窓口になるようなキャラが必要」(前掲)であると語った。すなわち、読者と同じ視点に立てる「ただの人間」としてのポップが、「他人の物語」に読者を没入させるための回路として機能していたのだ。

 実際、物語序盤のポップの戦闘能力は(作品内の)一般人とほとんど変わらない。そればかりか、戦闘を完全にダイに任せ、一切何もせず「にげる」ことさえある。また、何かにつけてマァムやレオナといった(年齢のわりにグラマラスな)女性キャラに見惚れてしまうしまうような、現実の「少年」に近いキャラとして存在する。そんなポップが成長する姿を描くことで(中盤以降、彼がいなければ「ぜんめつ」も免れなくなる)、「他人の物語」としての『ドラクエ』に最大限感情移入できるように設計されていたのだ。

 ただ、筆者の知見を加えるならば、ポップというキャラクターは単に「他人の物語」への没入回路であること以上の役割を果たしている。彼がいることで、当時の『ドラクエ』が暗黙のうちに無視してきた「ある疑問」に応答を示すことに成功している。

 すなわち、「なぜ勇者は崇拝されるのか?」という疑問だ。

 考えてみればおかしな話である。『ダイの大冒険』の連載開始直前に発売された『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』では、主人公が「勇者」の息子であるというだけの理由で魔王討伐の旅が奨励される。なぜアリアハン王国の連中は国家レベルの軍事力で戦おうとせず一人の少年に世界の命運を託すのか、託せるのだとしたらなぜ「勇者」はそんなに強いのか、そんなに強いのだとしたら場合によっては魔王より脅威ではないかとか、考えだしたらきりがない。さらに『ドラゴンクエスト』、『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』の世界は『Ⅲ』の世界の数百年後という設定だが、何世紀にもわたって、いわば「勇者教」とでも呼ぶべき単一の宗教が全世界的に信仰されているのは不自然、というか、言ってしまえば異常だ。

 もちろん冒頭で述べたように、このような疑問は単なる揚げ足取りに過ぎない。どんな疑問も「プレイヤーにゲームを楽しんでもらうため」と言ってしまえばそれまでだ。しかし、このような素朴な疑問に向き合うことで生まれるクリエイティビティというものが、この世には存在する。例えば『moon』(1997年)や『UNDERTALE』(2015年)など、「メタフィクション」として一つのジャンルを築いている作品群などは、その典型であろう。

 実際、このようなゲーム内に潜む暗黙の疑問を自己言及するような演出は、『ダイの大冒険』連載開始時期には少しずつ現れ始めていた。例えばちょうど連載開始と同じ1989年に発売されたゲームに『MOTHER』という作品がある。同作では従来のRPG的要素が踏襲されつつも、敵に勝利した際には「~~はわれにかえった」などと表記することで殺害を避けたり、ラスボス戦においては特定の条件を満たすことで敵の戦意を挫くことで勝利したりするなど、RPGに潜む暴力性をパロディ的に回収するような演出が見られる。

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