虚構が現実を侵食するーー1930年代カートゥーンの悪夢描くゲーム『Bendy and the Ink Machine』をアニメーション史から紐解く

1930年代カートゥーンの悪夢描く『Bendy』

 インディーゲーム開発者・theMeatly氏が2017年に発売した一人称ホラー『Bendy and the Ink Machine』がSteamのサマーセール対象品となっている。7月10日まで、80%オフの410円にて入手することが可能だ。Windows/Mac/Linux版が配信されており、日本語字幕に対応している。

 本作の舞台となるのはアメリカの古いアニメーションスタジオ。1930年代に隆盛を極めたカートゥーンの現場はすっかり廃墟となり、かつての銀幕スター「ベンディ」のポスターやグッズだけが置き去りにされていた。数十年前にアニメーターとして働いていた主人公は、古い同僚からの奇妙な招待でふたたびこの職場を訪ねることになる。静まり返ったスタジオをさまよううち、やがて彼は奇妙な出来事に巻き込まれていくのだ。

 まるで“白黒時代のミッキーマウス”を思わせるキャラクター・ベンディは、二頭身に満面のスマイルを浮かべた愛らしいマスコットだ。にもかかわらず、本作において彼は冒頭から恐怖の対象として描かれる。壁に貼ってあるかすれたポスターのベンディ、廊下に打ち捨てられた等身大パネルのベンディ。その凍りついた笑顔はどこかプレイヤーを監視しているようにも思えてくる。ゲームの序盤に見られる、このパネルを利用したちょっとしたジャンプスケア(プレイヤーを驚かせる演出)が象徴的だ。それは脅かしと呼ぶにはあまりにもささやかなものだが、同時に間違いなく不吉な予感として迫ってくる。そもそもなぜ、愉快なアニメ映画を作るスタジオがホラーゲームの舞台たりうるのか? その問いに応えるために、当時の米国アニメーションの作例を見てみよう。

 現代の映像作品に慣れきった我々は、アニメは描かれた絵の中で完結すると考えがちだ。しかし20世紀前半のアニメーターたちは絶えずその枠組みを揺るがしてきた。たとえば1914年にアニメーション作家ウィンザー・マッケイが発表した『恐竜ガーティー』では巨大なスクリーンに恐竜を映し、その脇に立ったマッケイ自身が調教師のように恐竜と交流してみせた(参考:https://publicdomainreview.org/collection/gertie-the-dinosaur-1914)。現実世界から絵の中へ食べ物を投げ込んだり、あるいはマッケイが描かれた絵の中に登場してみせたり、画面の内と外で盛んにやりとりを行ったのだ。あるいは1919年から1929年にかけてフライシャー兄弟の手で作られた「インク壺から」シリーズはより意識的だ。実写映像と組み合わせられた本作は、絵の中から飛び出した道化師が“現実”の男性を振り回す。物理世界がアニメキャラクターの背景と化しており、主客が転倒してしまっているのだ(参考:https://www.youtube.com/watch?v=cMiBRGJ_24w)。

 ゲーム内でベンディが活躍した時代が1930年前後と設定されているのは、こうした実際のアニメーション史の取り組みを踏まえてのことだろう。作中でスタジオの主として現れる男も、歴々たる作家たちと同じようにフィクションと現実の境界を踏み越えようと苦心している。しかしクリエイターなら当然と思われるこの取り組みにこそ、ホラーが息づく余白があるのだ。虚構のキャラクターが枠組みを越えて現実を侵犯する。それは人の支配下にあるはずの被創造物が、創造者の方へ向かってやってくるという危惧をもたらす。『Bendy and the Ink Machine』がこの時代のアニメスタジオを舞台としているのは、カートゥーンと現実の境界が今よりも不確かだった時代に、そのボーダーを踏み越える“何か”が存在したら、というシミュレーションを描いているからに他ならない。

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